
ページ数は少なめの、生活科の発問本ですが、とても勉強になりました。
一部抜粋します。
まだ青いみかんを見つつ「食べたいな」「いつになったら食べられるのかな」という思いを膨らませている子が多いはずだ。その気持ちに沿うような形で、子どもたちに語りかけた時初めて、子どもの心に教師の言葉が届くのではないだろうか。そう考えると、「気付いたことはありませんか」はあまりにも芸がない。それよりも、もっと子供たちの心に届く言葉があるはずだ。例えば、「このみかん、いつになったら食べられると思う?」では、どうであろうか。先ほどの「気付いたことはありませんか」よりも、ずいぶん子どもの気持ちに沿った発問だ。ただ、「いつになったら」と問われても、子どもたちには分かりづらい。もっと子ども達に届く言葉はないか。
「このみかん、明日になったら、もう食べられるかな。」
これだとどうだろうか。(pp.5-6.)
大切にしたいことは、内容が明らかになった時、その内容をいわゆる「5W1H」をそのままつける形での発問から脱却することである。例えば、「動くおもちゃをつくろう」という単元の導入時において、「この車はゴムの力で動いているのではないか」という発言を引き出したかったとする。この時に、「ゴムの力」の部分をそのまま問うような発問、「この車は何の力で動いていると思いますか」をさけるのである。
「ゆさぶり発問」ではこうする。「この車は魔法の力で動いています」
明らかに事実に反する内容を子どもたちに投げかけるのである。どちらが子供たちの心を捉える言葉であるか。一目瞭然だ。(pp.12-13.)
上記の二つの抜粋だけでも、本書が示す生活科ならではの発問論が明確に示されているようにも思います。本書では、「知的正義感」という言葉が出てきます。先のように、あえて間違ったことを述べることで、それを必死に正そうとする知的正義感を刺激するというアプローチが重要視されています。学年なども意識しつつも、児童が飛びつく問いを常に考えている姿勢が非常に参考になります。
また、発問で揺さぶった後に、「大切なことは「書いている途中でわからなくなったら、じぶんで見に行っていいよ」と促すことだ。今度は自力で確かめに行かせるのだ。」(p.19.)とも書かれています。何かを体験的に調べに行くときに、着目する視点を持たせるような指導が様々に示されています。
そのことは以下の記述からも分かります。
子ども達に町探検をさせる。仮に視点を与えないまま探検をさせると、子どもたちは様々なことに目を奪われ、教師は探検後の交流活動で収拾がつかなくなり、困る。そこで、探検前に視点を与えることが大切になる。(p.48.)
本書では、どこかに調べに行く「手前」の授業の時間の様子が多く描かれているように思いました。巻末に記載された授業記録「ろめんでんしゃしらべたい」もその一例です。体験活動は、ともすると、それ自体が楽しいものとして捉えられる瞬間もある気がしますが、なぜその体験をしにいくのか、何を見に行くのかを、児童に意識させてから行動するプロセスが良いなと個人的に感じます。その際に、「~~をするために今から調べに行きます」と真正面から目的を述べるのではなく、児童に疑問をうまく持たせて出発する。その工夫がにじみ出ている本のように思いました。
本書のアプローチは有効だと思う一方で、読みながら少しだけ考えさせられたのは、視点をしぼってから調べに行くことが、結果として、多様な視点を限定しすぎる方向に向かうことはないのか、という点でした。いずれにしても、児童の知的正義感や知的好奇心を刺激することは大切ですし、そのための仕掛けに授業作りの醍醐味の一端を感じられる本です。