
公共図書館や学校図書館と探究学習を繋げる視座を得るために、「図書館を使った調べる学習コンクール」に応募が多い学校や応募作品の特徴、応募者に対する調査などが考察されている本です。
小・中・高のそれぞれの応募作品の比較が行われており、小学校時代は自然科学や身近な出来事を扱った事例が多いのに対して、中学、高校に行くにしたがって、歴史や社会科学のいわゆる文系的な内容が増えていく、という話は興味深かったです。中高で他の関心がある人は他のコンクールに応募するということもあるのだと思いますが、小学校時代のトピックの特徴が、むしろ生活科や小学校社会科を考える上で色々と考えさせられました。
息子の自由研究を見ていても思うのですが、確かに夏休みの自由研究は親子にとって非常に大きな出来事で、これらのイベントをうまく活用しながら、地域コンクールや、司書さんへの調べ学習相談会ができるのは、うまくかみ合えばとても面白くなりそうです。親としても、行き当たりばったりでも色々と行かせよう(一緒に行ったりもする)とするのですが、そういった活動の相談先や訪問先のネットワークが仮に構築されていたら、調べ学習も全く景色の違うものになるのだろうなと。そういう意味でも、袖ヶ浦市の成功要因の一つに挙がっていた「地域コンクール」があるかないかはとても大きな違いだと思いました。
何の変哲もない普通のものや人や情報を学習資源に変えるためには、 学習の目的意識と資源管理の方法を工夫する必要がある。この点で、教員の多 くは時間的、精神的な余裕を欠いている場合が多く、そのために期待されているのが図書館や博物館などの専門機関なのである。博物館は主題知識をもった学芸員がいて地域の博物館資料を収集・展示する過程を通して学習資源化をはかることができる。他方、学校図書館の学習情報センター化とは、学校司書、 あるいは司書教諭を介して、学習者である子どもたちだけでなく教材や学習資源を探している教員と外部の情報資源を結びつける役割を果たすことをさす。 また、公共図書館は学校支援によりこの過程を側面からサポートすることになるが、同時に学校後の生涯学習の基盤的施設としての重要性が期待されている。(p.116.)
何の変哲もない普通のもの・人・情報を学習資源に変えるのが、授業の教材研究でもあるとも思う部分もあるのですが、とはいえ、さまざまな児童生徒の関心に合わせて、専門性をもちながら相談にのれて、情報資源を繋げることのできる専門機関の強みは感じます。
また、入賞が多い学校では、正規科目に論文を書くことを位置づけているという話も指摘されていました(p.119)。併せて読んでいて思ったのは、通常の教科学習との関係性でした。論文を書く、という目的的活動があった場合に、他教科も関連して変化してくることはあるのだろうと思います。その場合、教科の探究と総合学習の探究との役割分担であったり、教科学習から派生した発展的な課題意識を基に訪問した学校図書館の本の並びがどう見えるのか、なども改めて気になるところです。
最後に、インターネットで調べることと図書館で調べることとの関係性については、今後も私も考え続けたいなと思いました。本書では基本的には図書館の目的が「本を読む」場として大まかには想定されています。事例で出てくる奈良輪小学校の指導でも、「テーマの調べ方については、本で調べるかあるいは専門家に聞くことが勧められ、インターネットの利用の場合は情報が多すぎて選ぶのに時間がかかってしまうから、まずは本から調べる方法を推薦した。最後に各自テーマによって図書館内の資料を使って調べる活動を行った」(pp.52-53.)と書かれています。生成AIの存在はもちろん論点となりますが、それを棚上げしたとしても、ネット検索ではなく本へのアクセスを促すためには、読書ならではの出会いの価値を実感できるような日々の読書教育がセットで必要になるのだろうなあと、改めて感じるところです。探究に必要なスキルとその有用感を、段階的に無理なく育てていくようなカリキュラムのイメージが必要になりそうです。(例えば、各学年の教科の学びと繋がる読書記録を残したり発表するなども。)
同時に、生成AIを使った場合、「その情報が本当なのか?」にアプローチするには、図書館や書籍の役割が増す可能性もある気がしました。生成AIの存在によって、逆に信頼性の情報とは何か?という点が可視化され、書籍や専門書の価値が再評価されていく(もちろん、本=信頼できる、とは言い切れませんが)ようにも思えました。ただ、そういうプロセスを伴走したり支援するシステムがないと、なかなか機能しない可能性もありそうです。いずれにしても、欲しいと思った本と繋がれる・アクセスできる環境がある程度は必要になりそうで、そういった環境整備のあり方が問われそうな気がします。
勉強になりました。