洋書メモ

Au, W., Brown, A. L., & Calderón, D. (2016). Reclaiming the multicultural roots of U.S. curriculum: Communities of color and official knowledge in education. Teachers College Press.

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アメリカのカリキュラム史において、マイノリティが描かれ、論じられなかった課題を問題視し、アメリカのカリキュラム史の「多文化的な歴史的ルーツ」を明らかにしようとした本でした。

「批判理論」「コロニアル・スタディーズ」「文化的記憶論(cultural memory)」などを分析の枠組みや視点としながら、先住民史、アジア系移民史、アフリカ系アメリカ人史、メキシコ系アメリカ人史などの文脈を再検討しています。

それぞれの文脈は異なりますが、公教育へのアクセスをいかに実質化するかどうか、各文化的なコミュニティにとっての文化継承をいかに果たすか、という二重の戦略が必要だった点は、いずれの章の話でも共通しているかと思いました。

読んでいて印象に残った点がいくつかあります。

一つは、先住民史においての寄宿制学校を巡って、先住民側の子ども・親のしたたかな抵抗や合理的な判断が含まれていた点でした。もちろん、先住民史にも様々な段階があり、ある程度の文化的な自治が認められている段階や部族もいたという点もありますし、アメリカの先住民政策が先住民のアイデンティティを極端に抑圧する、人種主義的なものであったことも言えます。ただ同時に、単に同化政策下で文化が抹殺されたイメージだけでは見えてこない、様々な表面化での抵抗があることが2章を読んでいて感じました。寄宿制学校であえて不真面目な態度をとる生徒や、子どもをあえて寄宿制学校に行かせた親の意図、寄宿制学校の生徒がコミュニティに帰省した時に受けていたコミュニティ内での教育、寄宿生学校に行っていない子どもたちに向けてなされた教育、などなど、様々な様相が描かれています。

もう一つに、アジア系コミュニティの教育史において、語学学校(例:中国語学校、日本語学校)が果たした意義を、カリキュラムレベルで検討している点です。(それが人種隔離下の場合もそうでない場合もありますが)学校で学ぶ内容と、それとは別に語学学校で学ぶ内容との整合性やそれぞれの教材やカリキュラムの意図、さらには語学学校の教材改善を図る動きや、それを警戒する白人社会の言説なども説明されています。また、20世紀初頭において、アジア系の子どもたち自身が、人種的な劣等感と闘うために自分たちのコミュニティの文化理解をどう位置付けていたか、トランスナショナルなアイデンティティ形成の文脈も勉強になりました。

いずれの事例においても、従来は焦点が当たってこなかった史料や細かな生活文脈に着目しており、マイノリティ史において、こういった史料収集は欠かせないのだなと改めて思いました。

また、終章でも論じられていた通り、教育と文化的なコミュニティとの関係を追うこと、コミュニティにとっての教育の果たす役割を複数の視点や側面から追っていくことの重要性を感じます。結果として、扱う史料の幅は広がることにもなります。

同時に感じるのは、1960年代以降のアメリカ教育史におけるリビジョニストによる再解釈の動向も、本書のような視点から見れば、白人社会から見た再解釈に過ぎなかったのだろうという点です。参考文献などを見ても、1990年代以降に、多文化主義的なカリキュラム史に関わる研究が徐々に増え、本研究にも結実していることが分かります。こういった動向は、研究アプローチが社会史的なものへとシフトしていく流れともリンクしているのだろうとも思いました。

勉強になりました。

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