読書メモ

【本】広井良典(1999)『日本の社会保障』岩波新書.

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目次は以下の通りです。

第1章 福祉国家の生成と展開
第2章 日本の社会保障―その軌跡と問題点
第3章 社会保障を考える視点
第4章 これからの社会保障―理念・選択肢・方向

社会保障とは何か?をこれほど分かりやすく教えてくれた本はない気がします。
年末ですが、今年読んだ本で三本の指には入る面白さでした。

本全体を通して、社会保障制度を、医療、年金、福祉などの分野別の議論にせず、全体像や理念・原理を語るべき、というスタンスが明示されているような気がします。

では何が必要か。 いま求められているのは、医療、年金、福祉にわたる社会保障の全体を視野に収めた上で、各々の分野における公私の役割分担のあり方を明らかにしながら、社会保障全体の最終的な将来像についての「基本的な選択肢」を示し、議論を深めていく作業に他ならない。あわせて、そうした今後の社会保障制度の基本的な選択肢について、各々の財政規模やどのものとなるかを明らかにし、そうした数値をも参考にしながら将来像についての「選択と合意」を行っていくことが本質的な課題となる。

p.196.

印象に残った点を数点メモしておきます。

一点目
日本の社会保障制度の分かりにくさ、ツギハギ的、折衷的性格について説明がなされています。国際比較を通じて、そのことが鮮明化しています。

つまり、ここで日本は、一階に基礎年金、二階に厚生年金(所得比例部分)」という形で、まさに普遍主義モデル(給付の基礎年金)とドイツ型社会保険モデル(職域中心の報酬比例年金)をドッキングさせた ことになる。しかも、両者は財源的にも融合しており、 さらに、基礎年金部分はその財が「三分の一は税、 三分の二は保険料」となっている。これらの結果、日本の年金制度は、よくも悪くもきわめて折衷的な制度となっており、つまり「貯蓄・保険」的な目的のための制度(自分の老後のために若いときに保険料を積み立てて、それが年をとったときに戻ってくる、という制度)なのか、「所得再分配のための制度(現在の老人の生活を一定以上保障するために、若い人がその費用を通じて払っている、という制度)なのか、制度の基本的な趣旨そのものがわかりにくいものとなっている。 最近深刻化している基礎年金の空洞化や若者の年金離れといったことの背景には、こうした年金制度の趣旨そのものの不明瞭さがあると筆者は考えている。言い換えると、制度の 「折衷的性格」は、これまでのように経済が着実に拡大し、財源が自然に伸びていた時代にはそれなりにうまく機能してきたが、経済が低成長期を迎え、富の分配のあり方や考え方が正面 から問われる現在のような時代においてはかえって、混乱のもととなっているのである。

pp.44-45.

二点目
先ほどの日本の折衷的な制度ができた背景として、「戦後日本はまさに「途上国の医療システム」として理想的とも言えるような制度を、自覚的であったか否かは別とし、結果的に採用してきた」ことが示されています。加えて、現在の日本の医療シ ステムはまさに「途上国型モデルとしては最適」 のものとなっているのであり、そのまったくの裏返しとして、成熟社会における医療のあり方(筆者が 「成熟経済型医療構造」と呼んできたもの)への対応 がきわめて遅れている点も指摘されています(pp.72-73.)

日本の制度史に関連すると、日本が、もともと後発のキャッチアップ型経済であったことに加え、戦後日本は文字通り“廃墟から出発したため、社会保障制度それ自体の充実 というよりも、ともかく経済そのものを拡大・成長させ、それを通じて国民全体の所得水準を 高めることに一義的な目標が置かれたことが印象にのこりました。そういう意味では、日本の「福祉元年」の議論が、欧米と比べてかなり遅いことが、ヨーロッパの状況との 「構造的な違い」(p.12.)だというのもよく分かります。

三点目
社会保障の分析視点について。先に述べた通り、日本の社会保障制度が非常に複雑なものになっていることを考慮に入れたうえで、その制度設計を分析し、再設計しうるような視点を提示している点です。
視点とは、「リスクの分散」と「所得の再分配」という二軸です。

一般に社会保障は、個人が保険料を出し合って集団でリスクに備えるという、「リスクの分散」を基本原理とする「社会保険」と、税を財源とした「所得の再分配」を基本とする「福祉(公的扶助)」とをさしあたり分けることができる。

p.3.

とりわけ、ロールズの無知のヴェール論に対する違和感については、社会保障を考える上で「所得の再分配」の視点を組み込んで捉えるべきことが強調されていて、印象に残りました。

やや誤解を招きやすい表現になってしまうかもしれないが、次のように言ってもよいかもし れない。すべてを「保険」として理解する、という見方は、一種の一元論的な理解と言え るだろう。そこでは「効率性ー公平性」、「市場ー政府」といった区分は(究極的には)重要な意味をもたないことになる。これに対し、筆者がここで論じているのはある意味で二元論的な枠組みであり、社会保険をどう位置づけるかという論点はさしあたり別にしても、いま述べ たような「効率性ー公平性」、「市場ー政府」ひいては「公ー私」といった相違は、できる限り 区別しながら制度の設計を考えていこうという方向性である。少なくとも現実の制度設計を頭においた議論では、各々の制度の趣旨を明確にする意味でも、後者のようなアプローチのほう が重要ではないかと思えるのである。

p.124.

四点目。
高齢化問題が、地球環境問題をはじめとした、現代社会の様々な問題と繋がっていく視座を与えてくれる点です。この点については、この本だけでは語りつくせないというか、この著者の他の様々な著作を読みたいと思わせてくれます。一言で言えば、「持続可能性」のような視点から、産業化社会の前提自体が問い直されているということなのだとは思います。

ここで、高齢化問題と(地球)環境問題とは、18世紀末以降2000年続いてきた産業化社会というものの、〝それぞれ内なる限界〟と〝外なる限界” であり、 その両方の局面において、 産業化社会を支えた理念はひとつの基本的な「反転」を経験しようとしているのだ、と言って よいかもしれない。
つまり、産業化社会とは、上記のように〝健康な、壮年男子〟を基本的なモデルとした社会 だったのだが、その発展それ自体の帰結として到達したのが「高齢化社会」というステージで あった。しかもそれは、ある意味で逆説的にも、「老いや障害、病といったものが”普遍化” する社会」という、産業化社会における価値そのものを根本から「反転」させるような社会である。環境問題についても同様のことが言える。このようなレベルにおいても、社会保障ない 福祉国家をめぐる問題と、環境問題とは、相互に深く浸透し合っているのである。

pp.170-171.

その他、気になった点をいくつかメモ。

・ 最終的には1961年に完成する「国民保険」システムの実質的な基盤や「理念と動機づけ」が、戦時体制下の1940~45年の時期に形成されていたということ。(国全体のゴール 戦争遂行から「経済成長」へと変わっただけとも捉えられる。)(p.41.)

・「成熟化(高齢化社会」とは、「共同体/家族関係の外部化」が進む段階として捉えられる。例えば、子育て自体が外部化・社会化したり、高齢社介護問題も、同様に外部化・社会化するものとして見なせること。(pp.182-183.)

広井先生の著作を少しずつ読み進めてみようと思います。

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