読書メモ

【本】黒澤英典・和久井清司・若菜俊文・宇田川宏(1998)『高校初期社会科の研究:「一般社会」「時事問題」の実践を中心として』学文社.

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目次は以下の通りです。

序章 高校初期社会科研究の意義
第1章 研究の対象と方法
第2章 学習指導要領にみる高校初期社会科の制度化
第3章 「一般社会」「時事問題」の教科書と周辺教材
第4章 高校初期社会科カリキュラムの成立と変遷―教育課程における「一般社会」「時事問題」の定置と履修状況
第5章 高校初期社会科実践の形成過程
第6章 地方資料にみる「時事問題」受容の諸相―岐阜プラン(1949年)を中心にして
第7章 新聞学習の展開と「一般社会」「時事問題」
第8章 社会科教師の生誕―斎藤昭における社会科教育実践の成立
第9章 高校初期社会科の可能性と限界
終章 高校初期社会科と現代

戦後初期の高校社会科に関する研究です。
冒頭から「初期社会科についての研究 は、小学校が中心で、高校の研究は著しく立ち遅れている。」(p.1.)と述べ、本書では、「高校初期社会科の特色を最もよく体現し、そのための様々な実践努力を生み出しながら急速に衰退していった「一般社会」と「時事問題」の盛衰の過程を考察の対象とする。」(p.1.)とされています。

当時の高校社会科の状況を明らかにするために、自治体の史料を紐解いていたり、当時のアンケート記録などを分析するなど、社会科教育史研究の方法論の点でも、多くの示唆があると感じました。

結果として、初期社会科の隆盛高まるイメージが相対化され、戦後初期の社会科教育の通常の学校での実践や教師の反応など、考えさせられる論点が多く出てきます。

例えば、「まず第一に、実践者の多くが当時の学習指導要領を読んでいる形跡が希薄なことである。」(pp.25-26.)や「後にすぐれた実績を残す教師たちに聞き取りをした場合においても、当時、学習指導要領や公民教師用書のような手引書を読んだ形跡が少ないことに愕然とする。」(p.183.)や、「極端な言い方をすれば、高校初期社会科は、文書のうえではともかく実情としては、一部の教師を除いては、授業の実態でも意識のうえでもほとんど存在しなかったといってもいいのではないか。」(p.27.)という話などは、象徴的な指摘です。

高校初期社会科の受容に関する教師側のスタンスの問題である。本書では、「小・中学校の場合、初期社会科の受容は高校より積極的であり、その結果多くの典型的な実践を生み出したといえる。だが、高校の場合、 初期社会科の受 け止め方は、全体として消極的であり、また人により多様であった。」(pp.186-187.)と述べられていますが、小・中学校の場合の実態がどのようであったのかについても、疑問を促すような側面があるように読めました。

読んでいて印象に残ったことをメモします。

一点目
「時事問題」に対する教員の「忌避感」について何度も言及があります。

こうしてみてくると、実践者側には「時事問題」よりも「一般社会」にたいする好感度が高く、履修生徒側にはその逆の傾向があるように感じられる。とくに、教師側が「時事問題」に忌避性向をもっていたことは、この科目の衰退を早めた重要な要因になったと考えられる。

p.24.

この教師の忌避感と背後に、教養主義的であったり、受験対策にシフトしていくような高校の性格が映し出されてもいます。

教養主義的傾向の強い当時の高校教師にとって、教え込みの困難な「時事問題」は総じて不人気であった。文部省が単元要綱を示し、教科書の発行に踏み切らざるをえなかったのは、現場からの「内圧」に対応するためでもあった。

pp.39-40.

二点目
受験対策からの影響についても何度も論じられています。高校教育史ゆえに顕著ともいえるかもしれませんが、こういうタッチで描く社会科教育史の本を読む機会が少ないこともあり、初期社会科の読み直しという点でも勉強になります。

これらの傾向から見ると、1950年代にはいる頃から「時事問題」を廃止し、地理・歴史科目のなかから選択科目を選ばせる高校が増えてきたことが推察される。当時、一般に就職者が「時事問題」を選び、受験希望者が歴史科目を選ぶ傾向が顕著であった。受験にシフトする高校のなかから「時事問題」を早期に廃止する動きがみられたことは偶然ではないと考えるべきだろう。

p.81.

時事問題を廃止した理由は、実際に先生方がその運営に苦しんでいた事と、現在の高等学校は大学進学のための過程という色彩が非常に強かったので、日本史、世界史を選択でとる学生が約90%で圧倒的に多く、一般社会や時事問題で大学の試験を受ける者は極く稀であり、影の薄い存在となっていたことが第2の理由として考えられる。

pp.142-143.

三点目
初期高校社会科の理念を実現するための、教師に求められる資質や知識量の高さについてです。例えば、本書で紹介されている「岐阜プラン」の中身自体は積極的に評価される一方で、その普及や実践が難しかったことが指摘されています。これは、現代にも続く普遍的な問題でもあるように感じました。

岐阜プランは、岐阜の高校においてさえ広がらなかった。広い教養と研究能力を必要とし、いっぽう「24時間教材準備」の必要なこうした実践を受けとめてくれる人材がいなかったからである。そのためこの岐阜プランも、猿渡が大学院に入学し現場を離れることになると、実質的に自然消滅の道をたどるのであった。

p.118.

このことは、多くの高校教師たちも、民主化という時代のエトスを共有しつつも、生徒側の学習活動の質を高め、自らの経験を通して生長することを援助するという観点は希薄であった(p.29.)という話とも関連するように思います。

また、本書の最後の方で、「敗戦以前の日本の政治、文化、学問、教育の情況を考えてみると、どのくらいの教師が「民主主義」を理解していたかが問題になる。」(pp.193-194.)と現実主義的な指摘も見られました。

その他、
・当時はまだ「一般社会」の単元に役立ち、高校生が読める本は図書館にもあまりなく、優れた実践を残した永田の場合、生徒が読んだり調べたりできる文献を本人が所有していたこと。(p.103.)
・新聞などを扱った、時事問題の学習において、イデオロギーの問題、異なる立場の意見がある問題をどう取り扱うかという論点が浮上していたこと。(p.131.)
等も興味惹かれました。

方法論的にも、戦後初期社会科の捉え直しとしても、学ぶ点が多い本だと思います。

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