読書メモ

【本】大賀哲他編(2019)『共生社会の再構築――シティズンシップをめぐる包摂と分断』法律文化社.

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目次は以下の通りです。

序 シティズンシップをめぐる包摂と分断

第1部 境界線としてのシティズンシップ
第1章 「市民」の要件と政治参加ーネイティブ・アメリカ党の企て
第2章 「不法移民」の誕生ー19世紀末アメリカにおける移民排斥ロジックの変遷
第3章 国籍による明白な境界線の不在ーイギリスにおける選挙権保障の点から
第4章 イデオロギーとレイシズムー占領期日本の非正規移住者をめぐる入管行政の裁量権をめぐって)

第2部 シティズンシップのなかの「包摂」と「排除」
第5章 家族支援にみる包摂の境界線ーアメリカ「ヘルシーマリッジ」による規範提示
第6章 街頭の身体と成員性の境界ー朝鮮戦争期佐世保への人々の流入と行政の介入を事例に
第7章 社会内部のみえない壁ー在日コリアンのシティズンシップという現実と幻想

第3部 境界線を越えるシティズンシップ
第8章 送り出し社会と移住先社会の構造と規範のなかで生きるフィリピン移住者の戦術ー日本、韓国における事例から
第9章 加齢移民とシティズンシップーコミュニティとしてのカトリック教会の事例
第10章 シティズンシップの相対化と日本の外国人・移民統合政策
第11章 移民のグローバル・ガバナンスー分散型ガバナンスと統合型ガバナンスの動揺)

あとがきにかえて

「シティズンシップ」という言葉の持つ多様性を様々な事例をもとに考察しています。
印象的だったのは、「シティズンシップ」という言葉を、規範的な意味から距離を置いて分析を行っている点です。

シティズンシップとは多義的な概念であるが、端的に言えば、「メンバーシップの意味と範囲」[Hall and Held, 1989]を意味している。誰を共同体に所属させるかという包摂の論理は、同時に「誰を所属させないか」という排除の論理を含意している。このような線引きや決定の闘争こそが「シティズンシップの政治」に他ならない[飯笹, 2008: 295]。

p.ⅱ.

従来のシティズンシップの議論については、「圧倒的に規範的な議論に傾注」しており、かつ「啓蒙主義的な価値観に貫かれている」[飯笹, 2007: 4]。   

p.ⅲ .

このような意図から書かれた本書は、狭い意味での「シティズンシップ教育」で語られるような視点とはだいぶ異なる内容が論じられています。いや、むしろ、メンバーシップの権利や排除性を論じるのがシティズンシップ研究としてはメインストリームなのかなとも思いますが。

いくつか興味を感じたところをメモ。三つほど。

一点目は、在日コリアンという集団的なアイデンティティ構築が、今の若い世代にとって、不明瞭になってきているという指摘です。

すなわち在日4世、5世が誕生している現状においては、もはや在日コリアンという集合名称が誰を指すのかが不明になってきている。在日コリアンと日本人の境界はますます不明瞭になり、日本社会への埋め込みが進んでいるといえるだろう。おそらく国籍取得権にせよ、地方選挙権にせよ、それを求める運動の主体が、在日コリアンという旗では成立しにくくなっているのも事実である。構築主義的にとらえるならば、個々の自己定義および自己呈示が先に来ているため、外部から名付けられる集合的アイデンティティには違和感を覚えるといえる。

pp.121-122

二点目は、在日フィリピン人が日本で構築するネットワークを、シティズンシップの視点から捉えていたてんです。

外国人や移民は移住国において市民権を備えた移住国のマジョリティとは違い、市民的な多くの権利を制限されている。その状況は、在住資格の違いなどによりさまざまである。・・・(中略:斉藤)・・・フィリピン人たちが送り出し社会と移住先社会の制限された資源と制度を活用し、結果として独自の関係ネットワークを構築していることを明らかにする。この実践は様々な限定された資源と制度をつなぎあわせ、自己流にシティズンシップを形成する動きである。

p.129.   

フィリピン系の移民の人達は、教会や教会の様々なグループ、そして同郷のコミュニティにより行われる様々な活動に帰属意識をもち、活動のほとんどが移民たちを彼らの同国人たちとつなぎます。教会は、故郷とのつながりを形成する「移民たちのアイデンティティの基盤」となり、フィリピン人として、そしてカトリック教徒としてのアイデンティティが形成されるとのことでした。

ここでいう「自己流にシティズンシップを形成する」という言葉、印象的でした。あまり今までの自分の中で意識したことのない視点です。シティズンシップが非常に多元的な言葉であることを表しているような気がします。

三点目は、国籍とデニズンシップの概念の話。ハンマーのデニズンシップの話は聞いてはいましたが、「外国籍の移民が、社会の実質的な構成員でありながら政治的な権利を持たない状況は、民主主義の原理に反する。国籍とシティズンシップが結びついているがゆえに、政治的共同体の成員のあり方について齟齬が生じてしまう」という話を、「シティズンシップと民主主義の両立」という視点から論じているのを見て、少し新しい視点を得たような気がしました。

ハンマーの問題意識の中心は、シティズンシップと民主主義とをどのように両立させるかにあった。前述のように、1970年代以降、欧州の主要な意見受け入れ国で移民の定着化が進んだ。外国籍の移民が、社会の実質的な構成員でありながら政治的な権利を持たない状況は、民主主義の原理に反する。国籍とシティズンシップが結びついているがゆえに、政治的共同体の成員のあり方について齟齬が生じてしまう。これを解消する手立てのひとつに「デニズンシップ・モデル(参政権モデル)」がある。定住外国人に一定の政治的権利を付与することで、民主主義の原理との整合性を図る方向性である。もう一つは「帰化モデル」で、移民の国籍取得を促し、国民への包摂を促進するものである。2つのモデルは、必ずしも相互に排他的ではない。       

p.162.    

デニズンシップの制度化の中心をなすのは国籍条項の撤廃である。1970年代以降、在日コリアンと支援者の中心に、住宅制度、社会保障・福祉制度、公務員就任などの領域において、日本国籍を要件としないように求める運動が活発化した。    

p.167.  

以前に、セイラ ベンハビブの『他者の権利―外国人・居留民・市民』を読んだときに、民主主義はメンバーシップとしての排他性を持たざるを得ないという話が合った気がします。

改めて、「シティズンシップと民主主義の両立」という視点で見た時、その両者が重ならないケースが多いことを実感させてくれます。国籍条項の問題は、社会科の制度研究をするうえでも重要な視点となりそうだと感じました。

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