読書メモ

【本】レイブ&ウェンガー著:佐伯胖訳(1994) 『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加―』産業図書.

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 大変有名な本なのですが、久しぶりに再読する機会がありました。少しメモ。

 本書は、あらゆる学習を、何らかの実践共同体への参加という社会的実践だと捉えます。この実践共同体への参加というイメージがしやすいのは、いわゆる徒弟制度の場合です。

親方を頂点とする共同体の中に、弟子が入り、そこで学び成長していく。こんなイメージも1つの参加の側面ではある。

ただ、本書の主な主張は、たとえ徒弟制においても、共同体の中心に向かって、人々が単純に同化していくのではなく、弟子や親方同士が、常に相互交渉的(お互いの利害対立を含む)に変化していくこと、さらには、共同体への新参者(新入り)の参入によって、共同体自身が変容していくことに焦点を当てること(ステレオタイプ的な徒弟制のイメージを打破すること)にあり、この点が非常に面白いです。

さらに言えば、一個人が特定の実践共同体にだけ参入するということはないので、多元的な共同体に参加しながら、複合的なアイデンティティを個人が形成していくことや、他の構成員と絶えず相互交渉的にアイデンティティを形成していくことが分かります。これらのことを、本書では様々な事例の分析を通して、論を進めていく構成となっています。

 レイブとヴェンガーは、いわゆる学校が特殊化され過ぎた文脈の上にあるがゆえに、学校教育についてあまり語りたがりませんでした。

ただ仮に、正統的周辺参加の議論を学校や授業に落とし込んだ場合、教師と生徒の関係は相互交渉的であり(教師も生徒から多くを学び、変化する)、新しい生徒や異質な生徒の参入によって、学級や学校自体が絶えず変容し、アップデートし直されていくべき、という議論になるのかなと感じました。

さらには、例えば、(教科担任制とした場合、)それぞれの教科の授業ごとで、同じ学級でも異なる実践共同体として立ち上がるし、部活や生徒会なども1つの実践共同体となるし、それらの異なる実践共同体が絶えず相互交渉しながら、一個人の生徒のアイデンティティを形成していく。

いずれにしても、生徒が授業を単なる内容の習得としてだけ学ぶということは現実にはあり得ないのであり、(周りと話そうが話すまいが)他者との関係性の中で学びを深めていく。私はそんなイメージで理解しました。

 本書の視点は、「学習とは社会的世界でのあり方であって、それについて知るようになるやり方ではない」という言葉にもあるように、人生そのものが学習のプロセスであることを強く認識させてくれます。

レイブとヴェンガーが学校教育に焦点化した議論を避けようとした背景に、学校を前提とした議論から学習を論じてしまうと、議論が狭くなる点があったのだと思います。

であるとすれば、私たちは、まさに学校教育や日々の授業について語る時にこそ、社会や人生の視点から、学校の学びを語らないといけないのではないか。そう感じました。

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