
タイトルにもあるように、なぜ再生可能エネルギーが日本でなかなか広がらず、脱原発が進まないのか、について論じられています。
世界的には、再エネの普及及び持続可能な利用を促進する国際再生可能エネルギー機関 (IRENA)が2011年4月に設立され、米国、中国、EUなど171か国・機関 (2025年現在)が加盟している。気候・エネルギー分野のシンクタンク「エンバー」は2025年上半期には世界の発電量のうち再エネが4・3%に上昇し、世界最大の電力源となったとの報告書をまとめた。英国のBBCなど各国のメディアが報じている。ところが今、日本では再エネに逆風が吹いている。(p.39.)
再エネ事業を拡大したくても、送電線が足りないからと諦めざるを得ない人たちがいる。その一方で、電気が足りないとして泊原発を動かすという。原発を動かせば、再エネの出力制御が増え、採算がとれなくなり、ますます再エネに参入する人が減るだろう。再エネの現場は主力である太陽光の売電価格下落、そして出力制御、送電網不足、自然破壊をする一部業者への批判などで、参入の壁が厚くなっていた。せっかくうまく行っている再エネの電気が無駄になり、代わりに危険な原発に依存してゆく―――このちぐはぐな日本の政策は、どうにかならないものなのか?(pp.59-60.)
その答えは様々に論じられているとは思うのですが、国家的な支援の有無が大きいと論じられています。
「個別にみていくと、原子力予算と一桁と二桁も違うのがよくわかる。」(p.83)
「1989~1998年度の10年間、原子力の公的核分裂研究開発予算は15億ドルを超え続けている。他国と比べて極端に莫大な予算が原子力に投じられつづけたということだ。」(p.84.)
日本に不足しているのは、ゾーニングや合意形成プロセスにもっと政府や自治体が関与 すること、そして、何より「この国は本当に再エネ拡大を続けるのか、原発に戻り再エネ を縮小するのでは」という懸念を払拭し、政府が責任を持って諸課題を解決して、再エネを拡大していくという姿勢をみせることだ。(p.146.)
日本と、デンマークや中国との違いは、国を挙げて推進しているかどうかだ。デンマークの風力発電は、2024年には自国の発電量の38・30%を賄うまでに成長した(エンバー調べ)。世界トップの風力発電メーカー、ベスタスもある。ベスタスは88か国で合計190ギガワットにのぼる設備を納入しており、 従業員は3万5000人超。日本には1993年から納入を始め、設置容量は1500メガワット超(同社HP)となっている。日本の国の研究費が原子力に圧倒的に偏っている現状を第三章で描いたが、デンマークは1985年に原発を使わないと議会で決めて以来、国として風力発電を推進し続けている。その違いがここにあらわれている。(p.163.)
第4章では、再エネ6割のドイツ、原発回帰のイタリア、再エネ1割の韓国が比較されています。イタリアにおいて、国民投票が現行の法律を否定する効力を持つために、政府が国民投票に行かないようにと呼びかける、という話(p.122.)には驚きました。韓国における、脱原発、再エネへの逆風というか、ネガティブキャンペーンの様子も描かれている。「再エネが国の予算を食べてしまう」(p.142.)と攻撃されたらしい。日本のエネルギー政策についても、メディアによる情報戦の中に私たちはいるのだろうと改めて思います。
円安の影響で関係事業が撤退していった風力発電事業の事例の中で、予測不能な設備投資の高騰などについては、政府が支援すべきだ、という専門家の指摘も紹介されていました。
もう一つ、この本を読んで一番印象に残ったのは、自民党内の原発推進派と再エネ推進派の対立についての描写についてです。現実的には原発推進派の方が力が強く、再エネ派が抑え込まれてしまう。歴代の首相も、個人的には脱原発派であっても、なかなかそうは言えない状況になる。脱原発のスタンスを示した政治家へのネガティブキャンペーンが強烈に行われていることも紹介されていました。
最後に、「おわりに それでも私は書き続ける」を読んで、本書が出版されるまでの経緯を知り、本書の主張の意味を改めて考えさせられました。大手メディアも含め、日本のエネルギー政策の情報戦が進んでいるとすれば、私たちはどこから情報を集めるべきなのか。プロパガンダや陰謀論も渦巻く現代社会の中で、今後の日本でのエネルギー政策論議が、まさにその論争点になりそうな未来を感じながら読みました。