『戦後教育史』を読んだ。戦後教育史を、いくつかのトピック的な視点から論じている。現代史も手厚い内容。
戦後初期の教育を支える背景の混乱、困難さが伝わってくる記述が多い。孤児、浮浪児、減らない身売りの話(p.43.)はその例だと感じたが、戦地から帰還した父と子の間で事件や虐待が多かったという話(p.44.)が強く印象に残った。本書では、この親子対立を民主社会で育った子どもの抵抗としても説明しているが、男女共学について、当初は世論の支持がなかったこと(p.26.)、原爆被害の詳細は、広島県でも扱いがタブーのようになったこと(p.56.)なども含め、当時の混乱状況や錯綜する本音、子どもの権利への意識について、より深く知りたいと思わされる内容だった。
戦後占領下での文部省での法律等の意図的な訳し分けがなされている点が印象に残った。「人民」と「国民」の訳し分け(非国籍保持者の排除)の話もそうだが、中央集権的な要素を残すために訳し変えたという点も記載があり、その後に続く教員組合や教師・生徒の政治活動への圧力、学テ、教科書検定の話を含め、文部省の体制の変遷自体へ読者の視座を促す内容だと思えた。
本書の後半では、新自由主義改革の実態と特別支援教育について詳細に書かれている。1990年代の週五日制の導入によって、首都圏の私立学校志願者が増えたり、塾通い率に変化があった点(pp.210-211.)も指摘されている。保守派からの「心」や「家庭」や「規範」を強調する論理の背後には、ある種の時代状況の変化も推察される。苦しい境遇にある人をサポートするオルタナティブな社会のあり方を考える必要があると思えた。
2000年代以降の「発達障害の急増」や日本のインクルーシブ教育を批判的に考察し、大阪市立大空小学校の良い事例として紹介している。1970年代の共生教育の文脈で、篠原氏が述べた「事実を見取るための「思想性」が問われている」(p.145.)の話を思い出し、私にとっての思想とは何かと考えさせられた。