論文メモ

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読んだ論文の一部のメモ・抜粋を書いています。(非常に気まぐれにしかやらないのですが…)

【論文10】日下部龍太(2011)「日本統治下台湾の初等教科書に見られる社会観形成の論理:分割支配を意図した民族別教科書の記述差異に着目して」『社会科研究』74, 31-40.

【論文9】藤瀬泰司(2014)「批判的教科書活用論に基づく社会科授業作りの方法:教育内容開発研究に取り組む教師文化の醸成」『社会科研究』80, 21-32.

【論文8】両角遼平・石井佳奈子(2026)「台湾の中等公民教科書における「国民」記述の構造と特質─教科書記述の論理構造分析を通して─」『公民教育研究』33, 49-64.

2000年版教科書は既存の政治秩序である「国民国家」を前提化し、2010年版教科書は「ナショナル・アイデンティティ」概念を用いることで「台湾人」が抱える政治的葛藤を可視化し、2022年版教科書は「公民身分」概念を用いることで民主的価値による統合の実現化を促していた。このように、台湾の公民教科書における「国民」記述からは、国民を様々な概念から再構成しようと試みたことが明らかである。(p.61.)

台湾の事例を通して、国民が自明の存在として措定される構造を可視化したが、これは日本の公民科教科書における「国民」記述を再検討する上でも有効な視点である。(p.62.)

【論文7】桑原敏典(2000)「自律的な価値観の形成を目指す社会科論争問題学習―『アメリカの社会系論争問題』を事例として―」『社会系教科教育研究』12, 97-104.

【論文6】神尾陽一(2026)「二人の教師による公共性と採算性のジレンマ学習の実践─社会的ビジネスマインド学習モデルの提案─」『公民教育研究』33, 33-48.

公民科教育と商業科教育が融合することで、公共性と採算性の双方を比較しながら意思決定できる主体を育成することが可能となる。(p.34.)

このことから、教師による戦略的な価値観の揺さぶりが、その後の対話や内省で生徒の判断変容に大きな影響を及ぼすことが明らかとなった。ワークシートの記述内容や用語頻度の分析もこの差異を裏付けている。(p.45.)

【論文5】横山省一(2026)「平均値推測ゲームがもたらす金融経済教育の可能性─ナッシュ均衡の理解、投資イメージ、投資判断能力に対する効果の検証─」『公民教育研究』33, pp.17-32.

本研究の最終的な目標は、投資判断能力の育成である。ナッシュ近郊の理解や投資イメージの改善は、その基盤となる重要な要素であり、これらを段階的に積み重ねることで、他者の思考を予測するという投資判断の本質的な能力が育成されることが示唆された。(p.29)

【論文4】川崎誠司(2012)「アメリカにおける多文化教育の理論と実践:公正な社会的判断力をどう育てるか」『社会科教育研究』116, 109-129.

【論文3】小貫篤(2026)「シンガポール社会科における法的紛争解決─教科書”Resolving Conflict and Building Peace”の分析から─」『公民教育研究』33. pp.1-16.

社会科で取り扱われる多様な社会事象は、人々や集団の利害、価値観、立場の相違が、資源・空間・制度をめぐって対立として現れる課程として理解することができる。このような理解のもとで、従来の学習内容を変えずに、「紛争解決」の考え方(具体的には、「紛争は、信念・考え方の違い、領土争い、資源争い等によって発生する」「紛争は、個人間、社会、国家間で発生する」「紛争を友好的に解決する方法には、交渉と中立的な第三者の関与がある」等の考え方)で貫く。これは、地理における復興、資源、領土、歴史における革命、戦争、外交、公民における法、政治制度といった学習内容を、「紛争の発生と解決」という視点から再構成することを意図している。(pp.12-13.)

【論文2】岡島春恵(2018)「中学校社会科教師の教科観の形成に関する事例研究ー教科観形成の多層性と多面性に注目してー」『社会科研究』88, 13-24.

今回の調査では、社会科授業の目的について語る際に将来、生徒にどのような市民になってほしいかという点から語り始める教師(B、D、E教師)とどのような生徒であってほしいかという、学校での望ましい生徒の姿から語り始める教師(A、C教師)が見られた。(p.22.)

今回の調査の少ない事例からではあるが、このよう教科観の違いが生じたその形成過程を、それぞれの教師のキャリアから推測してみたい。(p.23.)

【論文1】渡邉巧・阪上弘彬・岡田了祐(2025)「社会科地域学習における小学校教師の授業づくりの特質および背景―インタビュー調査をもとに」『E-journal GEO』Vol.20(2), 392-404.

5名の語りの背後には,社会科教育および地域学習に関する【教師の目的・目標】の違いがみられた.それらは,「地域理解」もしくは「地域参加」を重視したものに分かれる.(p.401.)

5名の教師たちは,地域学習の目的を自覚して,授業づくりを行っている.社会科を熟知していても,地域学習では教材開発または学習評価で困難性を経験していた.また,教師自身が,地域の教材を深く研究しているがゆえに,その過程および成果を子どもに追体験させることの教育的意義を自覚しつつも,子ども主体で授業をつくることとのジレンマも語られた.さらに,学習指導要領および教科書,地方自治体等で作成された副読本を自律的に読み解き,その問題性および不十分さを見抜いた上で活用していた.(p.402.)

中西修一郎(2017)「戦後初期における北条小学校のカリキュラム開発に関する一考察:単元学習の展開に着目して」『京都大学大学院教育学研究科研究紀要』63, 257-269.

木村博一(2010)「20世紀後半における社会科教育史研究の展開:『社会科教育史の体系化と新たな研究方法論を探る』ための基礎的考察」『社会科教育論叢』47, 3-12.

吉川幸男(1992)「読書と社会科教材研究:歴史書を読むことと歴史授業構成との間」『社会科研究』40, 43-52.

社会科教育の研究には今なおエア・ポケットになっている研究領域が少なくない。授業構成に至るまでの「教材研究の過程」もその一つであろう。「授業研究」は一般に「行われた授業の事実」を研究対象とするものであり、教師が日々行う「教材研究途上の事実」を対象にすることはまれである。第一、そのような過程は報告されず、公開されないのが普通なので、研究対象たる事実の収集自体が容易ではない。それでも、社会科全般にわたる教材「構成」過程の方は、「教材づくり」という文脈で一般的に論及されることがたまにあるが、救われないのは教材「構成」以前の「読書」の段階である。(p.43.)

教育実習生の教材研究のほとんどが「伝達者」型であり、かなり工夫した授業を志す教師ほど「歴史家」型、「読者」型の教材研究を行う傾向がある。これは読書経験の差から当然ともいえる。「歴史家」型や「読者」型が「伝達者」型と決定的に異なるのは、著者としての歴史家の存在が明確に意識され、「著者の記述」として読む点にある。「伝達者」型の教材研究の場合、著者は関係ないのであって、とにかく歴史事象に関する知識を獲得することに全力が注がれる。本章論で探求すべき読書論は、この最も初歩的な読書である「伝達者」型の教材研究をする教師を対象とした、「歴史家」型や「読者」型に発展できるような本の読み方である。(p.44.)

香川七海(2020)「戦後教育史における「教育の現代化」から総合学習・オルタナティブ教育への連続性:奥地圭子と鳥山敏子の授業実践を起点として」『教育社会学研究』107, 49-68.

猪俣大輝(2023)「アメリカ課外活動成立過程に関する一考察:生徒の自治活動を学校内化するロジック」『教育学研究』90(2), 248-261.

↑上記論文の抜粋
以上のような1910年代以降のSR誌における教科外活動への関心の展開は、概して言えば、教科外活動の多様化の流れという中で、教師による教科外活動の「管理」と「指導」の方法を洗練させるものであったと捉えられる。

p.8.

10年代以降、中等教育改革や第一次世界大戦を契機に発展した議論の中では、「課外活動」なる語を用いて教科外活動全体を体系的に捉え、その内容や指導方法を検討する理論が確立した。さらに、「自治」を「学校統制への生徒参加」と言い換えることで、活動に関与する教師の役割が明確化され、特に生徒活動の範囲は教師の教育的・計画的な統制下に位置づけられることとなった。

p.11.

久島裕介(2023)「1950年代前半における土田茂範の教育研究の展開:山形県児童文化研究会からの影響に着目して」『教育学研究』90(2), 298-310.

↑上記論文の抜粋
当初の土田は子どもの背後の「生活」を知ることを重視していたのに対し、この時期の土田は、具体的な子どもの問題に着目する中で、子どもの発言や行動を「おもしろい」と認識し、その子の固有の性格や論理を見出すようになっていたのである。

p.56.

1950年代前半の県児文研は、子どもの事実などから見出された教育実践に根差した知見と、社会科学や民間教育運動の方針などの全国的な研究動向に即した知見という二つの焦点を有する教育研究の場であった。このような教育研究を通じて土田は、子どもの事実に内包された豊かな意味を読み取るまなざしや、教育実践の事実を全国的な研究動向と結びつける視座を獲得していたのである。

p.61.

他方で、県児文研では戦前から児童文化研究に関わっていた須藤が発言力を有し、土田がその影響を受けていたことにも注目したい。当時、大田堯などの研究者は教師のサークルの「横の仲間関係」に期待していたが、実際のサークルには須藤のような主導的な人物が存在しており、必ずしも水平的な人間関係ばかりではなかっことも示唆された。

p.61.

岩花春美(2011)「木下竹次の『学習法』の構造:J・デューイの探究の理論との比較を通して」『教育方法学研究』36, 109-119.

前述してきた木下の教育論は、型の修業を重要視する修養的な部面もあると考えられる。このような状況下で、デューイの民主主義的な思想が根付くのは困難であったものの、日本の教育文化的な規定に日本の進歩主義の影響下で日本古来からの伝統とともにあった日本の良き「自律」という芽が育まれてきたことの意味は大きいといえる。(p.114.)

このように、木下の「学習法」の構造は、デューイをはじめとする進歩主義教育の影響の中においてはじめて、「自律」と「協同」へと変容している。生活の局面を重視した合科学習が、デューイの思想的な影響によって学習の性質が細分化するとともにその要因同士の相互作用が産み出され、日本的なものと西欧的なものがより一層、調和することで、学習の局面を保持した「しごと」「けいこ」「なかよし」へと継承されてきたのである。それは、木下自身が個人内において探究の過程を経験し実践の理論として「伸びて行く」という学習方法の構想を経て、独自学習ー相互学習ー独自学習へと継承され続けてきたものなのである。(p.115.)

22)「ウェイン・A.ウィーガンド『アメリカ公立学校図書館史』(2021)の特徴と意義 : アメリカ最初の包括的な学校図書館史研究」『同志社図書館情報学』32, 75-106.

星野真澄(2022)「アメリカの学校段階区分変革に伴う学校施設設備の資金調達の実態ーノースカロライナ州シャーロットクレメンバーグ学区を事例としてー」『教育学研究』89(3), 26-38.

↑上記論文の抜粋
学校段階区分変革に伴う教育環境整備に焦点をあてた研究は不十分であり、どのように学校関係者、地域住民、教育委員会等の合意を得ながら学校段階区分を変革して教育環境整備を行っているのか、また学校段階区分変革に伴う教育環境の財源を如何に確保しているのか、教育環境整備を伴う地方教育行政機関の審議過程や財政状況の分析はなされておらず、その内実は明らかになっていない。

p.27.

学校施設設備の資源調達が実現するか否かは、住民投票に影響を受けるため、学区は学校現場や住民の声を尊重し、より効果的な債券プロジェクトを提案するように努めていた。この資金調達のプロセスにより、学区教育委員会と学区教育長は、一般目的政府と郡住民を説得できるよう単なる学校施設整備への投資ではなく、効果的な教育プログラムを提供するための投資になるよう検討を重ねているところに意義がある。

p.35.

松原悠(2012)「学習指導要領の法的拘束力に関する諸説とその共通点」『教育制度研究紀要 』7, 81-94.

華井裕隆(2022)「高校公民科における社会的課題の構造的把握をふまえた政策立案型授業ー政策的思考の育成を目指して」『社会科研究』97, 1-12.

公民教育では、従来「問題分析」の研究・実践を積み重ねてきたにもかかわらず、政策立案型授業になると提案するという行為を重視するがあまりに、分析がおろそかになってしまう。(p.2.)

まだ社会経験の少ない高校生にとっては、多くの利害関係者を想像し、「ヨコの構造化」を行うことはそもそも難しい。この、社会の多様性やつながりに理解が深い班が、「政策のデメリットを十分考えられているか」「政策の内容は具体的か」「効果的な政策か」という点において優れており、政策立案の質が高かったのではないか。(p.10.)

丸田健太郎(2023)「国語教育研究/実践の対象としての〈学習者の母語〉概念の確立の必要性」『日本教科教育学会誌』45(4), 37-48.

↑上記論文の抜粋
本実践で示された「自分のことば」へのとらえ方の拡張は、従来の「母語」観のような「母語=日本語」という認識から、自身のことばの実態に基づく「母語」観への変容であると言える。学生Aや学生が既述したように、周りにある多様なことばが自分の中に根付いていることを自覚することで、そっおから生まれる新たなアイデンティティを認めることができると考えられる。

p.43.

学習者のことばの実態から考えると、〈学習者の母語〉と「国語」は相互に作用しながら駆動する、学習者の人生を動かすための両輪であると考える。社会的アイデンティティを育てるためには、個人的アイデンティティという基盤が築かされていることが必要である。

p.44.

永田忠道(2023)「専門性への欲望と総合性との相克ー教科教育学研究者・社会科・生活科の宿命と矜持」『日本教科教育学会誌』45(4), 53-59.

↑上記論文の抜粋
このような制度上から鑑みると、教科としての社会科、そして社会科を研究対象としてきた社会科教育学、その研究者たちは斜陽にあるように見えるが、果たして、そうだろうか。見方を大きく転換させ、社会科と生活科に加えて総合的な学習の時間とさらに高等学校での総合的な探究の時間までを別物ではなく、一体化した存在や研究対象として見なすならば、その存在や対象は斜陽どころか大きな拡大深化を遂げているとも見ることができるのではないだろうか。

p.57.

社会科が学校教育の中で始められる前、教科教育学が学的な立場を確立していく前の教育学・地理学・歴史学などは、応用教育学・応用地理学・応用歴史学に突き進んでしまった経験を有している。教科教育学は、教育学・地理学・歴史学などから見ると学的な歴史が浅く未熟なのかもしれないが、古くから続く学問がかつて経験してしまった過ちを繰り返してはならない新たな学問分野・領域として重要な役割を担っていることを自覚し続ける必要がある。そのための新たな学問の大前提として、専門性へと突き進みすぎることへの制御機能を教科教育学は備えている、備えていかなければならない、という考え方もできるのではないだろうか。

p.58.

土肥大次郎(2023)「社会科社会問題学習における問題構築を扱う授業ー広い視野からの批判的考察を重視した授業の開発」『日本教科教育学会誌』45(4), 13-22.

金道煉(2023)「SFL理論に基づいた韓国の「東アジア史」教科書の叙述構造の分析ー単元『17世紀の東アジア戦争』における多元的視点の具現化の検証ー」『日本教科教育学会誌』45(4), 1-12.

↑上記論文の抜粋
事件に関連した人物とそれぞれ異なる動機と目的を表す心理プロセス、関連した人物間の連結関係および事件の属性を表す関係プロセス、そして同じ事件についての異なる解釈をする歴史家たちの論理を提示する発話プロセスを多く活用した叙述構想は、学習者に歴史が持つ解釈的な側面を強調する。

p.10.

松本謙一(2009)「総合学習で育つ子どもの可能性 ―富山市立堀川小学校における子どもの育ちを手がかりに―」『生活・総合的学習研究』7, 1-14.

有本 昌弘・山本佐江(2022)「伊那小学校における「見とり」―社会文化的な視点でのアセスメントと評価―」『東北大学大学院教育学研究科研究年報』70(2), 121-137.

井上昌善(2022)「エージェンシーの育成を目指す小学校社会科授業構成ー外部連携を通した単元開発を事例としてー」『社会系教科教育学研究』34, 31-40.

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