論文メモ

2023年10月の論文メモ

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岩下誠(2021)「19世紀中葉アイルランドにおける国民学校制度の宗派化ー私設公営学校の導入と展開ー」『日本の教育史学』, 64 , 34-47.

上記論文の抜粋
国民学校制度は、プロテスタント系団体の身に議会補助金を支給する既存の方法を廃止し、中央教育行政が公費をコカ学校に直接に配分する新しい仕組みであった。理念的には、プロテスタント・カトリック双方の聖職者や住民が共に学校を建設し、同一の理事会を構成して協同的に学校の運営にあたるという宗派協調的な制度が、国民学校制度の初期モデルとして想定されていた。

p.34.

このことは、地域社会において学校の存続と維持の条件であった「われわれの学校」という意識が、宗派間の寛容や相互協調ではなく、差別と排除の感覚によってこそ支えられていたのではないかという推測を可能にするものと言えよう。

p.43.

公共圏や市民社会という概念を公教育研究に導入する利点は、学校や公教育を、ひとびとの非国家的・非経済的な繋がりが生成する場として発見することにあるのではない。その利点は、身分や宗派に関わるあからさまな差別や排除を撤廃されてもなお、公教育制度において私有財産権と宗派主義にもとづいた差別や排除を貫徹させると同時に、そうした差別や排除を覆い隠す機制として市民社会や自由主義を理解することができる、ということにある。

p.44.

佐々木俊介(1987)「新・旧 Howe We Thingの比較考察ー質的思考理論から見た―」『日本デューイ学会紀要』28, 15-20.

近藤茂明(2018)「エリオット・アイズナーの『質的探究』論の再検討-教師の資質能力という視点に着目して―」『愛知学泉大学・短期大学紀要』53, 1-10.

上記論文の抜粋
両者の関係については、「鑑識眼」が近くする出来事や対象物を私的(private)に鑑賞する(appreciate)技術であるのに対して、「批評」は経験の質を公的(public)に開示する(disclose)技術である。もしこのことを「質」というコインに準えるならば、「鑑識眼」は質の重要性を解釈し価値を評価するコインの表であり、「批評」はわれわれの意識内容に公の形式を与える不思議で神秘的な技としてのコインの裏ということになる。

p.3.

その上で彼は、「人は批評なしでも鑑識家であることはできるが、鑑識眼の技術なしで批評家であることはできない」という「鑑識眼」の優位性、換言するならば、「批評(家)」の難しさを示す。それは「鑑識眼」と「批評」の間には「言語を使って、それ自ら推論的ではない質や意味を公にするために、ある種のパラドックスが存在する」と考えるからである。この言葉により、「質」を個人的な世界から公的な世界に置き換える際に見られる、言語を介して行う「批評」の難しさを読み取ることができるであろう。

p.3.

アイズナーが強調したことは、質的探究を担う質的探究者の「個性」ということになるであろう。換言するならば、豊かな感受性や良き判断への信頼ということである。

p.5.

梶田萌(2023)「測定の時代における『個性』概念の再考ージョン・デューイの1920年代から1930年代の思考変遷を手がかりに―」『教育学研究』90(1), 1-12.

上記論文の抜粋
デューイは、知能テストという測定の技術を、教育の規範を提供するものとしてではなく、新たな条件を視野に入れ、解釈可能性を押し広げることに資するものとして評価していたのである。

p.5.

確率統計から知られうる定式や類型には、現れないものは原理的に含まれえない。他方で、個性が「なんであれ予測されえないものの源」であるならば、諸個人は測定の技術によって与えられた類型化には回収されえない根本的な未規定性を有するものとして理解できる。

p.9.

橋本美保(2005)「及川平治『分団式動的教育法』の系譜ー近代日本におけるアメリカ・ヘルバルト主義の受容ー」『教育学研究』72(2).

冨士原紀絵(1998)「1930年代における及川平治のカリキュラム改造論の研究」『日本教育史研究』17.

小国喜弘(2014)「『教育実践』の歴史性ー戦後教育の転換に焦点をあててー」『東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室 研究室紀要』40, 146.

吉田成章(2017)「戦後教育学研究における東ドイツ教育学の受容と展開」『教育学研究ジャーナル』20, 71-77.

對馬達雄(2005)「反ナチス抵抗運動とドイツ戦後教育史ー占領期研究のための論点整理ー」『秋田大学教育文化学部研究紀要 教育科学』60, 51-64.

宮本勇一(2021)「教授学研究における歴史的アプローチのための方法論的検討」『広島大学大学院人間社会科学研究紀要 教育学研究』2, 185-194.

青木香代子・森茂岳雄(2022)「アメリカの小学校における日系人学習を通した社会正義のための教育実践-ソーシャル・アクションを目指す教師の語り」『茨城大学全学教育機構論集グローバル教育研究』5, 17-32.

玄由美子(2000)「多文化社会アメリカにおけるエスニック・スタディーズの行方:カリフォルニア州バークレー校から」『大阪大学言語文化学』9, 267-277.

土屋直人(2018)「生活綴方と戦後社会科・再考」『岩手大学教育学部研究年報』77, 99-119.

玉井慎也(2019)「自律的動機づけを高める社会科学習評価の構成原理ー外発的動機付けと内発的動機付けの二元論を超えてー」『教育学研究紀要』65, 570-575.

上記論文の抜粋
社会科教師は、学習者の視点に立ち、学習者自身の選択や自発性を促そうとする指導上の態度や信念を持つ自律的支援者として、価値の内面化を促すファシリテーターとしての役割がある。また、子どもが個人的レリバンスの観点からだけでなく、子どもが価値を見出しにくい社会的レリバンスの観点からの問題を積極的に教室に持ち込む、社会と教室を橋渡しする「コーディネーター」としての役割がある。

p.574.

社会科で涵養が目指される「主体的に学習に取り組む態度」とは、「自律的動機づけ」概念から意味づけ直せば、社会的レリバンスを教師・他者と共有する中で、自らの学びを自律的に動機づけ、社会科学習の意味や意義を粘り強く探究し、認識・受容していこうとする、いわば「自律的に学習に取り組む態度」である。

p.574.

佐長健司(2004)「政治的市民の育成を目的とする社会科の授業構成:中等後期単元『論争問題としての憲法』の場合」『佐賀大学教育学部紀要』9(1), 267-297.

永田成文(2011)「ESDの視点を導入した小学校社会科における公害学習の単元開発ー社会的論争問題としての四日市公害を事例として―」『三重大学教育学部研究紀要』62, 177-188.

川口広美・奥村尚・玉井慎也(2020)「『論争問題学習』はどのように論じられてきたかー社会科教育学の関連論文の検討を基にしてー」『教育学研究』(広島大学大学院人間社会学研究科紀要), 1, 40-49.

上記論文の抜粋
長田(2014)に見られるように、論争問題への当事者性を当初は抱かせつつも、それはあくまでも導入に過ぎず、中核となる探究活動はその後の対立する見解の解明に中心が置かれていた。ここには、個人の価値や信念にはタッチするべきではない、私的領域には関連しないという戦後社会科の理念や、道徳との関連性などの教科アイデンティティも強く反映していたと推察される。

p.47.

二点目の限界は、子どもが論争問題の当事者になりきれていないことである。ここで注意したいことは、「論争の当事者」という言葉にも複数意味があり、その違いによって探究活動も異なってくるということである。・・・(中略:斉藤)・・・ヘス(2009)から見れば、国内の先行研究ではヘスの目指す「真正な論争問題学習」として十分なものとは言い難い。

pp.47-48.

植松千喜(2023)「ペタゴジーにおける『生徒の声』を聴くことの困難-グレゴリー・ミッチーの多文化教育の実践記録及び研究を手がかりに―」『教育学研究』90 (1), 13-24.

上記論文の抜粋
他者の「声」を聴こうとしていても、結果としてその「声」を簒奪してしまう実践になることがしばしばある。その際に、ペタゴジーにおいて「生徒の声」を聴けている/いない教師個人やその行為を称揚/批判するのではなく、むしろ結果として「生徒の声」を表出した状況や、反対に「生徒の声」が聴けていない実践の文脈にある困難に着目する必要があると考える。そしてその困難には、ペタゴジーという形で教育実践をする際に、避けて通ることの難しい困難が含まれているのではないか。

p.14.

広田照幸・冨士原雅弘・香川七海(2018)「『教師の倫理綱領』の再検討ー作成過程を中心としてー」『日本の教育史学』 61, 6-18.

上記論文の抜粋
「倫理綱領」は正式な手続きを経て作成・決定した文書であった。それに対して「解説」は、中央執行委員会の目の届かないところで情宣部が作成した、単なるパンフレットに過ぎなかったのである。

p.15.

つまり、日教組を攻撃したい側の人たちによって、「解説」は、日教組の運動方針を詳細に解説している文書であり、組合員はそれで教育されてきた、という風に説明されることが多かったけれども、それはまったくのすじちがいであったといえる。

p.15.

中川千文(2019)「家庭科における「若者の社会保障」を考える : 生活保護とアルバイトの労働権を中心に」『日本家庭科教育学会誌』61 (4), 236-241.

上記論文の抜粋
生徒には身近でない「社会保障」を生徒の生活に引き寄せたいと、「自分の夢の実現にいくらかかるか」を全体の導入として社会保障の意義についても考えさせ、次に直接若者に関わる社会保障として「生活保護」と「アルバイト」を選び、再展開をおこなった。社会保障は憲法25条の「生存権」を基本理念とする政策である。抽象的になりがちな「人権」に関わる授業であるが、生徒の関心の高いアルバイトを軸に組み立てたことで理解しやすかったようである。

p.241.

今回の授業のほかに、これらを打破するいくつかの施策が考えられる。例えば生活保護世帯の子どもたちは「教育を受ける権利」が守られていない。教育の不平等さを是正するためには、人生のいつでも教育の受け直しができる教育制度や給付型奨学金の実現が必要になろう。また若者の貧困の一因となっているのは一人暮らしの家賃の高さである。日本では公営住宅に独身の若者は入居できないしくみになっている。若者に公営住宅を解放することも社会保障の1つとして家庭科の「住生活」で扱いたいテーマである。

p.241.

三浦啓(2019)「近代初期イギリスにおける教導者(ガヴァナー)の展開ージョン・デュリー『改革学校』を手がかりにー」『日本の教育史学』62 , 73-85.

上記論文の抜粋
一人のガヴァナーの目が届く範囲は限界があり、そのままでは多数の子ども一人ひとりの性向を把握し、指導する学校教師にはなりえない。そこでデュリーはガヴァナーを補助するシステムを付け加え、教室の構造を工夫した。・・・(中略:斉藤)・・・デュリーはこのような制度的及び建築的構造を用いることによって、本来ごく少数の子どもしか教育しえない家庭教師としてのガヴァナーを、多数の子どもを擁する学校へ位置づけることを可能とした。

p.82.

学校における子どもの全生活の指導こそが「教育(education)」であるとデュリーはみなしていたのであり、その「教育」を学校で担う必要があるとみなしていた。そして、家庭が担ってきた教育の機能を学校教育へ付与するべく、ガヴァナーを学校教師の位置に据えた。これは近代的教育における子どもの導き手としての学校教師の原型が過程教育におけるガヴァナーであることを示唆し、そのことが17世紀半葉において既に構想されていたことを示している。

p.82.

別木萌果(2023)「マイノリティの授業化における高等学校教師の意識に関する研究―公民科担当教師に対するインタビュー調査に基づいて―」『社会科教育研究』148, 38-49.

上記論文の抜粋
マイノリティが関わる問題については,マイノリティが関わる問題という現実の社会問題に,一人の市民としてどのように向きあっているかということが教育実践に影響を与えているのである。

p.48.

この結果を踏まえると,マイノリティに向き合う社会科教員を養成する上では,大学内における講義や模擬授業だけでなく,実際に地域で社会問題に取り組んだり,当事者と話す活動を行ったりすることでマイノリティが関わる問題を含む社会問題に向き合う経験が必要と言えるのではないだろうか。

p.48.

山口満(2000)「『フレッツェルのテーゼ』の今日的意義」『教育学研究集録』24, 7-14.

↑上記論文の抜粋
要するに、1のテーゼは良き市民性の育成を図るという観点から、学校生活全体を教育的に組織することが必要であるということ、2のテーゼは教科課程と教科外家庭との有機的な関連を図ることが必要であることを述べたものである。そして、1のテーゼが前提になって2のテーゼが導き出されている。

p.7.

カバリーが言うように、フレッツェルが1931年という時点で2つのテーゼを提示したことの背景とねらいは、ホームルーム、スチュデント・カウンシル、アセンブリー、クラブ、アスレチックなど、1920年代から30年代の前半にかけての時期に、アメリカのハイスクールに急速な発達、普及をみた各種の教科外活動がもつ教育的な意義を明確にし、学校の教育課程全体の中に正しく位置づけるということであった。

pp.7-8.

宮坂、飯田、宇留田に共通していることは、彼らが教科と教科外の諸活動をそれぞれ独立して教育内容の領域、したがってある程度固有の狙い、内容、指導法などももった学習活動の領域あるいは分野として認めら上で、両者の機能的な関連性や統合の可能性を探るという考え方で課程化をめぐる問題にアプローチしているという点である。

p.13.
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