
和歌山県橋本市彦谷にある「きのくに子どもの村学園」。その学校の実践や理念を様々なエピソードとともに描いた本です。
前半に出てくる「授業場面」の描写も面白く、教科とプロジェクトが連動し合っていることがよく分かります。また中盤では、学校づくり全体の話や学校が誕生し今に至るプロセスが説明されています。
「子どもの村では、知性の自由を解くデューイと、感情の自由を強調するニイルの二人をなんとか結び付けようとしてきた」(p.130.)とされますが、総合学習た体験学習としてのカリキュラムの側面と、自由学校としての学校文化や経営のあり方の側面が不可分に混ざり合っていることが分かります。
「基礎学習で学んだことがプロジェクトで生かされ、また逆にプロジェクトに関連のある題材が基礎学習の題材になる。小学校では国語や算数の内容を「ことば」と「かず」として学ぶ。週7時間ある。中学校では、いわゆる主要5教科として12時間が設けられている。中学校の数学では、進度と興味を考慮して二つまたは三つの学習グループができていて、同時並行的に学ぶ。どのグループに入るかは大人と相談して自分で決める。」(p.182.)
現在の総合的な学習/探究の時間に対する示唆や批判としても捉えられる内容は少なくなく、改めて考えさせられる場面も多いです。
「子ども村では、開校以来ずっと小学校では週14時間、中学校では11時間がこのプロジェクトにあてられている。・・・ホンモノの仕事としてのプロジェクトは、子どもの意識においては「それ自体が目的」だ。何か別の目的のための手段ではない。・・・どれもこれも、それ自体が面白いから熱中するのだ。こんなわけで、プロジェクトは「プロジェクト」であって、「プロジェクト学習」ではない。じつは、新しい学校をつくる会が、将来の学校のあり方を論じていた時に、「プロジェクト学習」と呼びたいという声も上がった。しかしそれだと教科書の中身を「体験を通して学ぶ」ということにもなりかねない。あるいはそのように誤解されるかもしれない。子どもに何かの学習単元を学習させるために、それにふさわしい体験を用意するわけではないのだ。そうではなくて、子どもたちの心をとらえるホンモノの仕事や活動が、「結果として」子どもたちの感情面と知性と人間関係の成長を促すのである。」
これも先日読んだ『探究する教室』の話と同様に、探究したり体験する「目的」に関わる論点なのだと感じました。何らかの体験や経験を、実利主義的な観点から良いものとして評価したとき、それはおそらく「きのくに子どもの村」の理念とはだいぶ違ってくるのだろうと思いますが、これは学習評価の話にも直結する論点ですね。この記述を読んでいて、過去に読んだ『思考力・読解力・伝える力が伸びる ハーバードで学んだ最高の読み聞かせ』のことを思いだしました。同時に、「プラグマティズム」の意味を改めて自分なりに理解しなおしたいとも感じます。
「現行の「総合的な学習」は、本来の総合学習というより、教科の一つといってよい。本来の総合学習は、あらゆる学習内容を含めておこなわれる。それも、単なる寄せ集めではない。教科の視点や論理からはなれて、まったく違った視点と論理から編成される。デューイは、子どもの自発性・興味・活動性という原則と、「基本的社会生活」という二つの原則をもとに「活動的な仕事」を構想し提唱した。デューイのいう体験活動としての「活動的な仕事」は、全ての学習の中核であり、出発点でもある。ここから子どもたちの興味はどんどん広がっていく。」(p.177.)
今の総合学習が、総合的な学習の時間と総合学習は一緒ではない。という指摘も力強いです。学校の設立、維持をめぐる紆余曲折も描かれており、その苦労話が本書の良さをさらに引き出しているように感じました。