『単一民族神話の起源』を読了。大日本帝国時代から戦後にかけて、「日本人」の支配的な自画像ともいわれる単一民族神話が、いつ、どのように発生したかを追っている。分量は約400ページだが、文章は読みやすく(理解したとは思わない)、予想を裏切ってくる筆力が半端ではない。
大まかには、戦前において混合民族論が主流であり、単一民族論が傍流だった。ただ、両者の論争は、日本の世界の中での位置づけへの認識、植民地支配・侵略の正当化の論理、記紀や天皇に紐づく歴史認識を含め、多様な論点をもっておこなわれてきたことが分かる。
大日本帝国の領土拡大を願う人々が単一民族志向だと単純に言い切れないところに、当時の複雑さがあり、現代の「保守」の枠組みで安易に考えられない要素がある。記紀神話のフィクション性を明らかにする津田左右吉の試みが、単一民族論に直結するあたりなども、現代的な素朴なイメージを裏切ってくる。
柳田、津田、和辻らの単一民族志向的な論が、戦後の日本像や象徴天皇制を支持する有力論拠となっていく(p.324.)。単一民族論に戦後歴史学が傾いていく(p.349.)。これらの戦前戦後の断絶・接続をめぐる認識については、今後も学んで行きたい。
戦後、日本の単一民族の平和国家、異質なものを含まない平穏な島国という日本の自画像が、「戦争につかれた人びとのことを捉える力を持っていた」「そしてその平和な島国の象徴こそ、天皇であった。」(p.340.)ともある。当時の人々は何を心の支えにしたのだろうかとも考えさせられた。
混合民族論には「人権概念を生まれさせない仕掛け」(p.373.)が過去にあり、この点を、現代的文脈も加味してどう振り返り教訓を学ぶべきか。p399.にあった「国境を超えるべきものが何で、こえてはならないものが何かを弁別すること、どんな多民族国家をつくるかをはっきりさせること」というメッセージを歴史教育の文脈で、じっくり考えていきたい。