『市民権とは何か』を読みました。何度も読み直してしまう本。市民性の教育の歴史を考える上で、古代から続く共和主義的な市民権の論点と後発する自由主義的な市民権の交差する歴史からの気付きが多いです。
古代より続く、共和主義的な思想の持つ、教育への価値づけの高さ、市民の義務への捉えはもちろんですが、同時に所有権、経済的基盤、参加への意思の論点をはじめ、現在に繋がる根深い問題も多い。本書前半で触れている社会的権利の論争性、パラドクスの話は、市民権の歴史と共に内在している印象を改めて持ちます。本書後半の最大の主張でもある「多重的市民権」を考える際に、今回は「市民社会市民権」の考え方にこそ、多重性を奥行きを持って考えるためのヒントがあるように感じられました。
タイトルにある「市民権」の持つ義務と権利のバランス感は、やはり難しいなと。翻訳者は義務性が強調されがちな状況を懸念されています(ゆえに「市民権」と訳した)が、著書に出てくる「共和主義的自由主義」であったり、共和主義と自由主義を二者択一にしない社会像や教育の在り方を再度考えることに。民主主義国家に含まれない社会をも含めて、市民性の教育の歴史として論じる本書から、考えさせられる点は多いです。