読書メモ

石井英真(2023)『授業が変わる 学習評価深化論』図書文化.

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目次は以下の通りです。

第1章 評価改革の本質を問う――成績を付けることだけが評価じゃない
第2章 なぜ観点別評価が強調されるのか
第3章 授業や評価の軸となる目標とは
第4章 「学びの舞台」をどうつくるか
補論 教育評価論のエッセンス――改革の“今”と“これから”をつかむために

石井先生の評価論の本です。
中等教育を主眼に置きつつも、これまで読んだ著者の本のテイストは本書でも維持されています。
その上で、参考になる気付きもいくつもありました。

やはり、今回もかなり強調されているのは、「評価疲れ」にならない評価の在り方についてのように思いました。とりわけ高校において、観点別評価を導入する際に、それが不安にならないような配慮をだいぶ意識しています。

形成的評価に関する「抽出OK」「直観OK」の捉え方は、自分自身の形成的評価の捉え方を再考する機会になりそうな気がします。

「評価」というと、一人一人について評定のために客観的な証拠を残さないといけないというイメージがありますが、「形成的評価」は抽出でも大丈夫で、直観でも大丈夫という点が重要です。実際に教師は机間指導などを通して「この生徒ができていたら次に進んでもいいかな」と目星をつけながら、また生徒たちの表情やうなずき具合から理解状況を推測しながら、日々の授業を展開しているものでしょう。「形成的評価」は客観的に厳密に把握することよりも、生徒を伸ばすことに全力集中することが肝要です。そして、「総括的評価」の段階で初めて一人ひとりについての全数調査が必要となり、「評定」のためには証拠や客観性が大事になるのです。「形成的評価」や「総括的評価」の意味を区別して理解し使いこなすことで「評価」についての思い込みから解放され、「評価」を意識すればするほど煩雑な仕事が増すという状況を避けることにつながります。

p.11.

思考力・判断力・表現力を育成するための生徒たちの活動やコミュニケーションを丁寧に見守り観察(評価)しなければならないのは確かですが、それは形成的評価として意識すべきです。総括的評価は生徒一人ひとりについて確かな根拠を残しながら客観的に評価することが求められますが、形成的評価なら、指導の改善につながる程度のゆるさで、抽出でも直観でも大丈夫です。生徒を伸ばすためにはタイミングを逃さずに働きかけることが重要であって、むしろ学習状況の把握と記録を意識しすぎてはなりません。

p.17.

活動やコミュニケーションを評価し見とること。これを本気で記録しようとすると、カルテを作成するようなことになりやすいですが、そうではない道筋を示そうとしているのが分かります。

また、評価観点の「配置・順序のバランス」についても、非常に具体的に記載されていて、参考になりました。
以下の例など、もちろんすべてそうあるべきということではないにしても、発想としてはよくわかります。

たとえば、図4(18頁)で示した中学校外国語の単元計画は、毎時間に観点を割り付けることはしていません。「記録に残す評価」は単元末にのみ記されており、毎時間形成的評価を行いながら複数の観点を一体的に育っていくことが大切にされています。

p.17.

と同時に、このさじ加減を学生にどう伝えるべきかというのは非常に悩ましいところですね。一時間の授業を作らせる際に、目標と評価の問題をどう捉えるべきか。単元全体で考えるべきということはわかるのですが、悩ましくは思います。

今回読んでいて関心を持ったのは、入試の話です。

(学生と一緒に大学入試の問題を分析する勉強会をしていることが影響しているかもしれません。)

入試問題が良質であっても、それに対して準備を促す側のアプローチであったり、入試を迎えたり、入試の過去問を解く位置づけが問題の意図とずれてしまうと、入試問題が全く違った意味に機能してしまう。
そのことを実感させられます。

良質な入試問題には、学問や社会からのメッセージが埋め込まれています。それを問題演習の道具として入試でしか使えないパターンを教える傾向が強まってはいないでしょうか。酒井淳平先生は「受験指導やテスト対策難度の名目で、私たちは『思考判断表現』に適した課題を必死に、『知識技能』の課題になってしまってはいないでしょうか」と問いかけています(酒井, 2020)。数学の証明問題も多数のパターンを説明してテストで出すと予告したなら、暗記を問うものになりかねません。照明は証明として、例えば図52のように思考し説明し表現するプロセスを生徒自身が紡ぎ出すことを大事にする。そもそも教科書にパッケージ化されている定理や公式や概念等は、先人たちの泥臭い試行錯誤を含んだ研究の歩みの成果です。定型的な実験も一つ一つの手順の裏にある意味や検証したい仮説を明確にしながら実施することで、また数学の定理も数学史などに目を向けたりすることで、パッケージ化されたものをほどき(unpacking)、真正の思考過程を見出すことができます。

p.106.

とはいえ、定期試験のため「だけの(=他では応用が全く効かない)」暗記や反復を強いることは良くないにしても、
問題演習を重ねて合格率を上げようとすることは避けられない気もしますし、反復や訓練による熟達の側面(そのプロセスで身体化されていく理解があること)があることも否めず、ここら辺をどう捉えていくべきかは私自身が腑に落ち切っていないです。

引き続き考えていきたいと思います。

もっと現場に見学に行かねばと感じました。勉強になりました。

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