目次は以下の通りです。
第1講 勤労国家・日本「働かざる者食うべからず」の自己責任社会
第2講 僕たちの社会は変わってしまった―大転換する日本経済
第3講 「頼りあえる社会」は実現できる―ちょっといい未来を想像してみる
第4講 「経済の時代」から「プラットフォームの世紀」へ
私自身、著者の本はこれまで何冊も読んではいましたが、
参加者との対話形式で進む本書では、新鮮な気付きがいくつもありました。
講演をする際の著者の語り口や、意見交換をする際の参加者との応答が、そういって新しい気付きを促してくれているようにも感じます。
本書を読んで一番感じたことは、税と社会保障の問題を考えるには、(これまでの著作とも共通しますが、)今の日本の制度的、歴史的な背景をしっかりと抑えて議論しなければいけないという点です。
本書でより具体的に言えば、そういったことを踏まえずに議論しても、「僕らには残酷に見える支配者を国民は支持している」(p.27.)という現状にも切り込むこともできず、「加害者もまた、別のところで「くらしの被害者」という面を持ってはいないでしょうか。」という、「じつはしんどい思いに苦しんでいる「ふつうの人たち」」(pp.33-34)のことを置き去りにして議論をしてしまう、という話が非常に印象に残ります。
トランプ政治にしても、イギリスのEU離脱にしても、リベラルのメディアが主張や分析と、国民の過半数の意見に大きくずれが生じてしまう原因がここにあるように思います。
そして、そのことが日本にも言えるとしたとき、日本における「じつはしんどい思いに苦しんでいる「ふつうの人たち」」が保守化していくことに目を向けることの重要性を感じます。同時に、単純に「少数者、社会的な弱者の権利が重要だ」という主張を連呼しても意味がないという著者の意見にも考えさせられます。
また、ヨーロッパと日本の税制、社会保障制度の違いを語る際にも、「なぜ彼らにできて、僕らにできないのか。僕らの社会の構造や歴史に切り込まないと謎は解けない」(p.93.)という話とも通底しているように感じました。
いくつか印象の残ったことをメモします。
・新自由主義が支持を得た理由として、国民が、「成長を夢見させてくれる理屈(本当に実現できるかは別)」を探していて、それに当時の自民党が応えたという側面があったこと。(pp.174-175.)
・これからの時代が「減縮の世紀」として説明されていること。つまり、見せびらかしの消費は減り、GDPは減るが、私たちの暮らしは本質的には変わっていない、という状況が生まれうること。(p.271.)
・消滅さえうたわれるような、そんな自治体を見ていれば、官対民、公対私のような二項対立は時代遅れで、「生き残りをかけた協調への闘争」や「公・共・私のベストミックス」へと時代が変わっていること。(pp.276-277.)
以上です。