木村優・藤井佑介・三河内彰子(2023)「高校における探究型カリキュラムの実践による教師・学校の成長発展メカニズム」『カリキュラム研究』32, 29-42.
大杉昭英(2011)「社会科における価値学習の可能性」『社会科研究』75, 1-10.
第一に、批判・調整と合意形成の手続きを踏めば、必ず公共的価値を創出できるのかという点である。
p.1.
このような観点から、無自覚に社会化されてきた自己を反省的に捉え直し、他者の存在と全体のあり方に配慮する「公共的理性」をもって、あらためて社会のあり方を考察する授業を構成するべきだと考える。そのためには、次の2つの視点が必要となる。①我々にとって自明な社会制度を相対化するために、他の倫理的価値に基づく異なる制度と比較対照させ、それまで無自覚であった倫理的価値を明らかにし批判的に吟味させること。②自分はさておき、皆にとってどのようなものが適切か、という視点から考察させること。これによって、善き制度、正しい制度の有り様が、制度を基礎付けている倫理的価値によって変わることを学び、その上で、生徒自身のこととしてではなく、皆にとってという「公共的価値」をもって制度や倫理的価値について考察させることができる。
p.4.
今日、我々は先哲が構築してきた功利主義、社会契約主義、自由至上主義、共同体主義という倫理的価値を含み持つ四つの代表的の思想を手にしている。社会科で「価値」を扱う内容を編成するときの基本枠組みとしてこの4つの思想が有効性を持つと考える。
p.9.
新井かおり(2014)「戦後のナラティブ・ターンから眺めるアイヌの諸運動と和人によるアイヌ研究の相克」『応用社会学研究』56, 225-240.
大矢一人(2006)「新制中学校の設立と軍政部-岡山県を事例として- 」『地方教育史研究』27, 65-78.
佐々木基裕(2015)「日本の教育哲学界におけるポストモダニズム受容ー『教育哲学研究』を事例にー」『教育・社会・文化』15, 1-18.
広田照幸・冨士原雅弘・香川七海(2018)「『教師の倫理綱領』の再検討ー作成過程を中心としてー」『日本の教育史学』 61, 6-18.
山田恵吾(2020)「1950年代埼玉県における教育研究サークルの生成と展開(1)ー川口教師の会を中心にー」『埼玉大学紀要 教育学部』69(1), 167-192.
山田恵吾(2020)「1950 年代埼玉県における地域教育研究サークルの生成と展開(2)ー埼玉教育研究サークル連絡協議会を中心にー」『埼玉大学紀要 教育学部』69(2), 289-309.
藤井利紀(2019)「キール教育アカデミーにおける学外実習改革に関する研究―教育アカデミーの理念の具体化を求めたカリキュラム改革の視点から―」『日本の教育史学』62, 100-113.
T↑上記論文の抜粋
p.109.
1930年代になると、そうした不十分さを乗りけるために、「助手奉仕」が新設され、教員養成所にはない取り組み取り組みとして学生が教職に向いているかどうか内省させる機会が与えられた。さらに、「助手奉仕」は、同じく導入された「完全実習」とともに、授業にとどまらず、学校生活全体を経験できる実習であり、プロ―マーによって教員養成所の学外実習を乗り越えるものとして捉えられた。
一方で、総合大学との違いをより明確にしたのは、「実践的実習」と「教授学演習」の導入であった。これらの実習と演習によって理論と実践に基づく教授学の深い学習が可能となった。キール教育アカデミーは、1920年代からすでに示されていたように研究を重視しながら、その研究対象を総合大学で重視されていた専門領域ではなく、教授学にシフトしていくことによって、教育アカデミーとしての独自性を示していたのであった。
p.109.
本多みどり(2019)「イギリスにおける「教育学教授」誕生の背景―「教育の科学」という言説に着目して―」『日本の教育史学』62, 86-99.
T↑上記論文の抜粋
pp.95-96.
he Educational Timesの見出しを分析した結果、1850年代、および1860年代には変化の兆しは見られなかった。ところが、1871年に、突如と言ってよいほどの、急激な変化が現れた。ペインとレイク二人がCOPに要請を行ったことに端を発し、COPによる修正の後、心理学、倫理学、生理学、論理学、教育方法、教育史などから構成される教師のための新試験が誕生した。つまり、この1871ねんの時点から「教育の科学」は、かつて考えられていたような、主に哲学的成果を内実とする、ぼんやりとしたひとつの範疇から、重層化された構築物へと変化し、COP内部で一定の認知を受けたと言えよう。
ペインは、レイクの強い反発を受けながらも、「教育の科学」を内包しっつう、しかも科学に回収しきれないもの(ペインの愛した言葉で言えばアーツ)をも含む、きたるべき「教育学」を遠望し構築しようとする態度を、終生示し続けた。瞬時もとどまることのない目前の実践への対応を迫られる「教育学」が、実証と普遍性を追求する「教育の科学」とは同一ではないことを認識し、Professor of Educationを「教育学教授」と捉えるならば、やはり初代教授はレイクよりもペインの方が適任であったと言えるであろう。
p.96.
宅島大尭(2023)「『学習者の声』に基づく地理学習の共創に向けた試み:地理教育の市民性教育化を視点に」『社会科研究』98, 13-24.
↑上記論文の抜粋
p.15.
生徒たちがもつ地理教育観を可視化するうえで、どのような学習目標を追求することに価値があるか、その学習評価はいアkにすべきかを生徒自身が語るための学習活動が必要となる。そこで、生徒自身い継続的な学習目標の設定と、放火課題の作成を求める「作問活動」を行う。これを導入、展開、終結作問として同一単元内で3回行う(表1)。
「市民的」な目標は、教える側の意図だけでなく、生徒の「自己関係性」や「社会的意味」を伴わなければならない。しかし本研究が示すように、すべての生徒が「市民的」な地理学習に異議を見出すわけではない。そのような中では、「市民的」な目標を設定させようとすればするほど、生徒の「自己関係性」や「社会的意味」を考慮しないままに、教師が過度に学びを方向付け、「市民的」な地理教育を強制することにもつながりかねない。
p.23.
中原朋生(2017)「社会科教育研究における道徳規範の取り扱い:米国公民教育における『寛容』の位置づけを手がかりに」『社会科教育論叢』50, 49-59.
樋口雅夫(2004)「問題を探求し続ける公民科『政治・経済』の授業構成:単元『地域統合』を事例として」『社会科研究』61, 51-60.
松岡靖(2011)「メディアによる表面的な理解を問い直す小学校異文化理解学習:第6学年『メディアが伝えるオーストラリア』を事例に」『社会科教育研究』114, 27-40.
相田直樹(2023)「公民科『政治・経済』における『複数の視点』からの知識統合:『独占』に着目して」『社会科研究』98, 1-12.
↑上記論文の抜粋
p.6.
第一に、「複数の視点」を扱う際にはそれらすべてに理論的根拠を付随させることである。視点を安易に並立することは、生徒にこれらを理解させるのに不十分であるばかりでなく、むしろ無根拠に累加した情報に直面させ、かえって混乱を招く危険性がある。よって、視点を扱う際には必ず「なぜそのような視点が産まれるのか」を追加的に説明する必要があるだろう。具体的には、独占という経済構造に素材する二つの主体を明示した上で、それぞれの立場が独占及び独占独占を禁止する法制度に立強いて有する見方及び考え方の論拠を併せて提示することで、生徒が独占という構造に関する知識を二つの視点から統合することを目指す。
本稿の提案する単元は、道徳規範を強調して現実の競争の「美しくない」部分をひた隠しにするのではなく、むしろ現実に起こる競争から生じる独占を経済的メカニズム及び経済活動の促進・抑制という両面的な見方から捉えることにより、より現実的な解決策を探究していく点で意義があるといえる。
p.9. 11.
望月ユリオ(2022)「鶴居滋一における指導観の変容 : 「環境整理」概念の理解に着目して」『日本の教育史学』65, 19-32.
↑上記論文の抜粋
p.19.
従来の研究ではこうした指導観を前提としながら理論的支柱となった指導尾者の言説と取り上げる、もしくは、そもそも教師の議論を俎上に載せないまま分析を行うにとどまり、実践の主体である教師によって指導がどのように理解されていたのかについての検討は不十分であった。
子どもによる環境整備とは、自身の欲求を充足させるために自らを取り巻く環境を改造すること(=環境創造)であった。そして、教師による環境整理とは、子どもたちの学習の過程を踏まえて彼らが環境創造に取り組もうとするその必要感を喚起するための条件の設定と、子どもたちの発展的な経験が生起する整備や場所を設けることであった。
p.28.
鶴居は実践において子どもたちを放任していたわけではなく、また、目的合理的なコントロールを目論んでいたでもなく、教師による計画や意図は必要不可欠なものとしつつも、子どもたちの学びは教師の想定を超え出ることを理解し、子どもとの相互作用の中で教師としての適切な手立てを講じていたのである。
p.29.
扇原貴志他(2022)「教師エージェンシーの想定要素の検討」『関係性の教育学』21(1), 33-52.
木村優・一柳智紀(2023)「解放と変⾰の⼒としてのエージェンシーを再考する」『教師教育研究』15, 411-418.
志村喬(2019)「イギリスにおける統合型教科「社会科」創設運動の盛衰:1970年代から1980年代を対象に」『日英教育誌』4,40-59.
志村喬(2020)「パワフル・ナレッジ論の生成と展開に関する教科教育学的覚書:地理教育から書誌学的アプローチ』『上越教育大学研究紀要』40(1), 217-225.
↑上記論文の抜粋
p.221.
結論としては、専門家あるいは学問的な知識の価値を低下させるような教育社会学の傾向に対するモアとムラ―の批判を真摯に受け入れなければならないとの認識を明確に示した上で、教育の目的に立ち戻ったうえで教育社会学は知識の社会学理論について挑戦・討議しなければならず、教育政策・実践の現実や制約に教育社会学をより埋め込むことが必要であることが過去30年間の新しい教育社会学の教訓であると結ぶのである(pp.533-534.)。
日本語版序文における「教育社会学は相対主義に陥るべきではない・・・・・。相対主義からはいかなるカリキュラムの代案も生まれ出ることはできないからである。」(p.ⅳ.)「「孤立した」専門化と「関連し合う」専門化の類型をさらに発展させ、・・・より最近の論文では、私は専門化の社会的組織、特に知識の獲得と生産における教科と学問の役割がもっと強調されるべきであると論じている(Young,2001)。」(pp.ⅷ-ⅸ.)との記述は、その後提起するパワフルナレッジと未来3型カリキュラムを示唆していたのであり、その提起・展開は記述の通りである。
p.222.
Morris, W. (2022). “The Eye of the Juvenile Court”: Report Cards, Juvenile Corrections, and a Colorado Street Kid, 1900-1920. History of Education Quarterly, 62(3), 312-336.
原圭寛(2018)「1860-70年代アメリカの研究大学における学士課程の編成:ジョンズ・ホプキンス大学及びコーネル大学におけるグループ・システムの導入とその背景」『日本の教育史学』61, 32-44.
↑上記論文の抜粋
p.36.
(引用文より)与えられる知識は、我々が考えるよりもはるかに重要であると我々は信じる。ほとんどの教養ある著名人の政治経済および歴史の知識の蓄積は、彼らの専門職に向けた勉学より前に学んだものである。
この地検は、ルドルフのカリキュラム史研究以来の図式である、「リベラル・アーツによる共通の知の重視→専門分化の促進→一般教育による共通の知の見直し」という「振り子」的な見方を刷新し得る。すなわちCU、JHUの両大学が課程の階層性という観点の下、共通知の習得・専門分化への準備段階・専門分化という3つの階層を想定し、特に第一・第二段階を学士課程・第三段階を学士課程卒業後のプログラムとして想定していた。すなわちここでは今日通知の獲得と専門分化を二項対立的には捉えておらず、階層関係として捉えていたのである。
p.40.
上垣渉・田中伸明(2010)「『GHQ/SCAP文書』に見る下級中等教育の教科課程成立過程:戦後教育改革のなかで教科課程上に位置づいていく新制中学校数学科」『三重大学教育学部研究紀要』66 教育科学, 343-357.
↑上記論文の抜粋
p.346.
9月27日の「最終的”試”案」成立時には、児童・生徒の生活経験からくる関心・要求を中心に据えた教科課程、教科を編成するという基本理念が確認されていた。したがって、それぞれの科目に対して1週間あたり何時間の科目とするかという「時間数配当」を教科課程表に載せてはならないことになった。つまり、時間配当のように「教科課程編成上の事由」が児童・生徒の関心・要求に優先されることが固く禁じられていたのである。
新制中学校の数学科は、「在米史料」の教育課程表の各所に、「一般数学」として登場する。これは、学問的数学から経験主義的な数学を区別する言葉として使われている。
p.355.
田中伸明(2007)「新制高等学校教科課程の成立過程に関する考察:文部省とGHQ/SCAPのCI&Eによる教科課程会議録を史料として」『数学教育学研究』13, 205-213.
↑上記論文の抜粋
p.211.
新制高等学校の成立は、単線化された「6-3-3制」「単位制」「総合制学校」といった今まで日本には全くなかった制度への移行という「大改革」であった。そこで、日本側は、既存の中学校、高等女学校、高等学校のような、「学年生」の「カレッジ準備課程」に強いこだわりを見せた。これは中等きゅおいくが大衆化されることで、知的エリートの要請がままならなくなり、国の未来を不安視する向きが強くあったことによると筆者は考えている。CI&Eは、改革に対する日本側のレディネスの欠如を指摘し、日本側を退ける。「単位制」「総合性」といった「発学第156号」の重要な部分は、すべてCI&Eの提案によるものであり、事実上、申請高等学校の教育課程はCI&E案に従ったものと見てよいだろう。
松井健人(2021)「ヴァイマル共和国における「俗悪図書から青少年を保護する法律」(1926)の審議過程の再検討」『日本の教育史学』64, 61-74.
↑上記論文の抜粋
p.62.
GBJSSに関するこれまでの研究は、同法の審議過程を精査するよりも、青少年福祉法以来の青少年保護の展開を「国家的介入」として解釈するポイカートの見解に代表されるように、研究者側が設定した解釈枠組みに引きつけながら解釈してきた。そのため、「読書」に関わる論点が十分に検討されず、また法審議過程の議論で生じた複雑さ、法案賛否をめぐる陣営間の議論をの奥行を捉えられていない。
審議過程における「青少年保護」あるいはそのリアリティとは、実態面として、「資本主義」の産物たる俗悪図書への青少年のアクセスを不可能とすることを意味していたと考えられる。GBJSS賛成派は、上に見たような教育的目的(犯罪防止・精神的向上・よき図書への誘導)を掲げ、法制定を主張したのであった。それに対して反対派は、教育的目的に反対することはないく、GBJSSが政治的検閲に転化しかねない運用の恣意性に対して法案反対を主張したのであった。
p.69.