読書メモ

白岩英樹(2023)『講義 アメリカの思想と文学:分断を乗り越える「声」を聴く』白水社.

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アメリカ史における代表的な思想家たちを取り上げ、論じています。
講義形式やディスカッション形式で書かれているので、非常に読みやすいのも特徴です。

本書を読んでいて印象に残った点をいくつかメモします。

一点目。
アメリカ思想史にとって、アメリカの独自性とは何かという点が一つのテーマとなっている点です。

実際、その後のアメリアは、国家の運営はもちろんですが、文化の構築においても、ヨーロッパとの差異化に対して、より意識を払う人物が増えてきます。イギリスやヨーロッパの二番煎じではなく、かといって同じ土俵で価値相撲をとろうというのでもない。そうではなくて、アメリカにしか生み出しえない「声」の創出に意識的になっていくんですね。

pp.25-26.

建国期はもちろんですが、そのプロセスでネイチャーに着目していくエマソンをはじめとした思想家の流れも、よくわかりました。

二点目。
「ネイチャー」がキーワードになっている点です。最初にそれが強調されているのは、エマソンの「原始主義」やネイチャーを大切にする発想からでした。

自然の懐に抱かれている自己を自覚し、それによって活性化される自己の内なる自然(nature=本姓)を認識せよ。それがエマソンの主張です。そうすることで、自己を幽閉し、他者を他者たらしめている堅牢な檻はゆっくりと誘拐し始め、最後には自然をまなざし、自然にまなざされる最小単位としての眼球だけが残るのだろ。そして、最終的には、文明という人間中心のフィルターを外すことで、自然そのものと融解しあい、結果として、自然を統括する神とさえ一体化し始める、そういうわけなのですね。

p.37.

内的、外的なネイチャーの話は各所で出てきます。
自分の本性に問いかけ、自分の声自身を発見していくことが重要であるというのはわかりました。
と同時に、アメリカ思想の中で、自然の存在が重要視されていることを改めて認識しました。

また、紹介される思想家たちの発想から得られる教訓についても、実感ができる内容になっています。

そんなとき、ソローの生き方は我々を当たり前の基本に立ち返らせてくれます。「自分の好きに呼吸」するために、文明社会が強いる価値観から距離を取る。「より高い法則」に気づき、それに従うために、ひとり自然と対話し、自己の内なる「声」を呼び覚ます。

p.76.

都市文明に埋もれ、内的ネイチャーと外的ネイチャーとの交感が行われない状況が続けば、「声」がすり減っていくのは必然でしょう。

p.131.

「自我中毒」(否が応でも自他の差異にばかり目が行くようになる(p.36.))から解放される方法の模索が続く。アンダーソンの述べる「自我の病」(p.138.)という言葉も印象的です。

個人的には、自然を意識させる(主に外的)ネイチャーへの思いが、20世紀以降も続くのかどうか、変化はあるのかどうかが気になったりもしました。

また。ホイットマンのところで出てくる「ぶらぶら歩く」も、散歩というか無目的さを強調しており、印象に残りました。それが合理主義・実利主義の批判になっていることも良く分かります。

もちろん、確固たる目的があって悪いわけではないでしょう。しかし、ひとの内的ネイチャーが活き活きと活動するのは、むしろ、その目的自体が意識から霧消しているときです。別の言葉で言い換えれば、夢中、没頭、没我。それ等の状態を意識の側から把握しようとすると、どうしても、余白とか無意識といったものでしか表しようがないんですね。

p.91.

また、アンダーソンの話を聞いていると、その声を発する土地や風土、歴史自体に応じた価値観や生き方があることを実感できます。

こういうローカルや自分の住む地域を大切にする発想は、
畑中章宏(2023)『今を生きる思想:宮本常一:歴史は庶民がつくる』
千葉雅也(2022)『現代思想入門』
などの内容とも関連を感じました。

三点目。
本書を読んでいると、思想を学ぶ強みを実感できる気がしました。

「いま・ここ」を相対化していったり、オルタナティブの可能性を見せてくれるという点(p.164.)や、「あまた存在する人間性を内に取り込むことで自らを多声化し、世界の様相をいたずらに単純化せず、交差性に満ちた世界そのものへの他静的な応答を試みる」(p.191.)にも通じます。

勉強になりました。

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