洋書メモ

Weiler, Kathleen. (2011). Democracy and Schooling in California, the Legacy of Helen Heffernan and Corinne seeds. Palgrave Macmillan.

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目次は以下の通りです。

Introduction
Working Girls of the Golden West
The Child and the Curriculum
Dare the School Build a New Social Order?
Was Progressive Education Progressive?
Love and War
Prejudice
The Battle of Westwood Hills
Exporting Democracy/Defending Democracy
“Progressive” Education Is Subverting America
How to Teach the California Child
Epilogue: The Long Retreat from Democratic Education

カリフォルニア州の1920年代~1960年代までに主に活動した、ヘファナンとシードの人生に注目することで、同時代の教育史上の出来事のディテールを論じています。

前書きで教育史家のリース氏、ルーリー氏が述べているように、子ども中心主義の理念がどのように捉えられ、どのような障壁に出会ったのか(p.ⅷ) が事例を通してよく分かる内容となっています。

読んでいて印象に残った点をいくつかメモしておきます。

まず、人物史的なアプローチの強みを感じます。
カリフォルニア州教育省で働くヘレン・ヘファナン(Helen Heffernan)と、UCLAの附属小学校を牽引するコリヌ・シード(Corinne Seeds)を取り巻く主張や出来事、それらに対するヘファナンとシードの想いが豊富に描かれています。

ジェンダー史としての視点も随所に意識されています。
女性であったヘファナンとシードが、どのようにカリフォルニア州の教育に影響力を持つに至ったのか。また同時に男性中心主義的な社会構造にどのように疎外されたか、などの点は何度も言及されています。女性同士のネットワークの重要性を感じる場面が多いですし、大学教員養成段階での男性支配的な状況も感じられます。だからこそ、それらの助教に切り込み続けていったヘファナンのバイタリティと発信力が際立ったいるのですが。

また、州全体での様々な理論上、実践上の繫がりや関係性が可視化されています。
雑誌上の理論的な話の変遷だけではなく、教師教育に関わる場の重要性や、附属学校と州教育省との人間関係的なネットワークを含めた関わり、地方各地での教師の集まりのネットワークの相互関係性などを感じられます。

実際、ヘファナンは教育行政の立場から、シードは附属学校での実践者としての立場から、いわゆる授業やカリキュラム開発以外のことにも多く関与し、学校教育を取り巻く幅広い論点について論じている印象を受けます。

史料分析の際に、手紙を史料とした分析が多様されています。
地域の教育雑誌、新聞記事などはもちろんですが、随所でディテールを描いているのは手紙による当事者のリアルな想いである気がします。また、ヘファナンとシードの手紙のやり取りを含め、プライベートな問題にも切り込むディテールを描き出す上で、手紙の内容が豊かに示されています。同時代の状況を説明する上で内容的に重要ではあると思いつつも、関係者の恋愛模様にも踏み込む分析内容にドキッとしたりもしました。

私の勉強不足のせいもあってか、ヘファナンというと、戦後初期の社会科教育(補説、1951年版など)に影響を与えた人物、という見方で私は素朴に捉えていたのですが、本書を読むと、ヘファナンが、日本に来る前も後も、全米から注目され続ける人物であったことがよく分かります。カリフォルニアでの貢献度も一貫して高く、同州のヘファナンへの信頼が厚いのが納得できます。
なお、紙幅的に、ヘファナンが日本に滞在していた時期の記述はわずかですが、ヘファナンが米国側の組織体制にも意見しようとしている場面など、印象に残りました。

日本では、戦後教育改革とのかかわりの中で、1930年代の「カリフォルニア・プラン」に注目が集まることもありますが、本書の内容はその前後であったり、実質的な効果を含めて相対化する上で有益な本だと思います。

一番印象に残った点は、
シードもヘファナンも、ともに、カリフォルニアでの右派からの攻撃に悩まされ続けたという点です。
1930年代は、二人にとって比較的平和な時代だったのかもしれませんが、1940~60年代にかけて、カリフォルニアの進歩主義教育は絶えず批判にさらされ続けていたという印象を受けます。州教育省への批判も、附属学校への批判も、時に名指しされ、時にマスメディアからバッシングされ、政治家の介入も受けながら、当事者の心労を想像するだけでもしんどくなってくるくらいです。

日本の戦後教育が逆コースをたどったと言われる見方も、米国のこれらのバッシングを重ね合わせたとき、様々な気付きが再発見できうるようにも感じました。

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