読書メモ

広田良典(2011)『創造的福祉社会:「成長」後の社会構想と人間・地域・価値』ちくま新書.

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目次は以下の通りです。

時間軸/歴史軸―私たちはどのような時代を生きているか
空間軸―グローバル化とローカル化はどのような関係にあるか
原理軸―私たちは人間と社会をどのように理解したらよいか

著者の主張する「定常型時代」における福祉のあり方について論じた本です。
前半と後半の内容がだいぶ異なる気がするのですが、私としては特に前半からの学びが多かったです。

印象に残った点をメモ。

一点目。
現代社会において「生産労働性」ではなく「環境生産性」が求めれつつある、という点が本書全体の問題意識として据えられています。著者は、「現在の先進諸国あるいは資本主義は、のちに論じていくように、“生産性が上がりすぎた社会”である。」(p.16)とも論じたうえで、以下のように述べています。

これまで生産性とは「労働生産性」、つまり、“少ない労働力で多くの生産を上げる”ことと考えられてきた。しかし現在の先進諸国では、本章で論じてきたように構造的な生産過剰と慢性的な人余り(=失業)が生じている。こうした時代には、むしろ「人」を多く活用し、逆に自然資源を節約することが重要となり、したがって、生産性の概念を「労働生産性」から「環境効率性(ないし資源生産性)」・(=人はむしろ積極的に活用しつつ、出来る限り少ない自然資源や環境負荷で生産を行うこと)へ転換することが本質的な課題となる。そうなると、これまで“生産性が低い”典型とされてきた介護や福祉、教育などの分野(=「ケア」関連分野)に全く新しい意義が生まれてくることになる。

p.39.

二点目。
社会保障や福祉のあり方が、都市のまちづくりと直結する問題であること、逆に言えば、まちづくりが社会保障の問題であるということが、論じられています。
個人的には、社会保障の議論がともすると財源や税制の話になるような場面があると感じているのですが(単に勉強不足かもしれません)、本書の指摘はそういう意味で新鮮に感じました。
本書中盤では、複数の都市設計に関する比較検討がなされており、市街地に「座れる場所があること」の意味を再発見もさせてくれます。

写真③④は、ドイツの都市の中心市街地で「座れる場所」が多くあり、人々がそこでくつろいだり、談笑したりしている様子をしめしたものである。ある意味で単純なことだが、街の中に「座れる場所」が多くあるということは、いいかえれば街が単なる“通過するだけの空間”ではなく、そこで何をするともなくゆったり過ごせるような場所であることを意味している。街あるいは都市が、そうしたいわば「コミュニティ空間」として存在することが大切と思われる。

p.62.

これまで日本では、福祉ないし社会保障政策と、都市計画や土地所有などを含む都市政策とは、互いにあまり関連のない異分野としてとらえられることが多く、概してバラバラに施策が展開されてきた。しかし今後は、都市計画やまちづくりの中に「福祉」的な視点を、また逆に福祉政策の中に都市あるいは「空間」的な視点を導入することが、ぜひとも必要なのである。この場合、「福祉」はかなり広い意味で、①少子高齢化対応や若者を含む生活保障などの面もあれば、②様々な世代の交流や世代間の人口バランス、③本節で述べてきたような、人々がゆっくり歩いて楽しめ、かつ「コミュニティ」としての繫がりを醸成するような空間づくりといった要素を含んでいる。

p.92.

また、まちづくりが福祉や社会保障に与える影響の先に、各地域が地域ごとの固有の資源や価値を創造していくことが重要になる未来像を示しています。

つまり単一の方向への「成長」によってすべて物事を解決しようとするのではなく、各地域の固有の資源や価値、伝統、文化などを再発見していく中で様々な生活の充足を得るという方向である。同時にもう一つ重要なのは、それは決して“変化のない退屈な”営みではなく、次のような意味でむしろ創造性に満ちた作業であるという点だ。

p.116.

三点目。
現代社会において「倫理の再・内部化」が求められてるという点です。
近代社会においては、政府という社会的装置を創造し、自由や権利などの概念を軸に法や社会設計することで、近代以前の伝統的社会では必要とされた、個々人が「内的に自分の行動を律する」必要性が薄れたと捉えられています。(pp.225-226.)
著者はこれを、近代社会における「倫理の外部化」と述べます。
そのうえで、そういった近代の前提が崩れつつ現代において、倫理の再内部化が必要となると指摘されています。

私たちが現在迎えつつある、市場経済の拡大・成長が終焉する「定常型社会」においては、新たな形での倫理ないし価値が求められているのではないか。言い換えれば、ポスト資本主義あるいは定常型社会における「倫理の再・内部化」という課題に私たちは直面しているのではないか、というのがここでの基本的な問題意識である。

p.236.

以上です。

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