読書メモ

【本】貴堂嘉之(2019)『南北戦争の時代 19世紀 シリーズ・アメリカ合衆国史②』岩波新書.

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目次は以下の通りです。

はじめに
第一章  西漸運動の展開――「西半球の帝国」へ
第二章  南北戦争
第三章  「再建の時代」――未完の革命
第四章  金ぴか時代――現代アメリカへの胎動
おわりに─―南北戦争の「終わらない戦後」

主に19世紀のアメリカ史に焦点を当て、南北戦争がアメリカ社会を転換させていったことを様々な視点から論じている本です。
本書でも述べるように、南北戦争以前の米国において、行政、司法をはじめ、奴隷主が多数存在する状態にありました。それを受けて、本書では、以下のように問いが設定されています。

奴隷制という不自由を抱えて船出した「奴隷国家」アメリカは、いかにして自由労働者からなる「移民国家」へと遠謀を遂げたのか、ということになる。その過程において、合衆国は南北戦争という未曽有の内戦を経る必要があったのだ。

p.7.

本書を読んでいてやはり見ごたえがあるのは、南北戦争での北部と南部での攻防です。経済力で勝る北部の戦略が際立つなあと、改めて思いました。同時に、有名なゲティスバーグでのリンカンの演説で南北戦争が終わったわけではない、という点は改めて再確認。また、共和党内での急進派の存在が際立っている点は、最近見た映画「リンカン」でも感じたことでした。

その上で、南北戦争がなぜ起きたのか、北部は何を求めて戦っていたのか、という基本的な論点について、改めて考える機会となりました。
本書でも、「リンカンの立場は南北戦争勃発後も、戦争遂行の目的は連邦の統一回復であって、奴隷制廃止ではないという点で一貫していた。」(p.89.)と述べられていますし、「共和党支持者が奴隷制に反対したのは、必ずしも人道的見地からだけではなく、奴隷の不自由労働が自分たちの自由労働を脅かすとみなしたからでもあった。」(p.69.)とも述べられいます。
南北戦争の歴史的な意味を、連邦の統一と奴隷制廃止との間でどのように捉えていくのか。この視点を大切にしながら関連書を読み進めていきたいところです。

関連して、南北戦争において、国家的なまとまりが強調されるようになっていったという点は、印象に残りました。ゲティスバーグ演説でも、リンカンがネイションという語を5度も使ったと述べらており(p.102.)、南北戦争が「新しい連邦主導の国家建設、新しい国民創造」のターニングポイントになっていることが分かります。

いつアメリカ合衆国は国家建設と国民創造を始めたのか。諸説ある中、本書は南北戦争と再建期こそが、その淵源だと捉える。連邦政府は、総力戦となる内戦を戦うなかで、それまで州に奪われていた通貨発行権を国家主権の名において奪い返し、連邦課税を実施し、財政政策の主導権を握った。さらに、「祖国のために死ぬ」ことを強いる連邦徴兵を、一気に実現していった。

p.113.

このような流れは、19世紀後半に、従来の州任せであった、自由放任的な移民政策、国境管理(移民入国管理)が連邦主導に切り替わっていくこと(p.157.)とも関連しているように思えます。
まあ、いずれにしても、北部から見たアメリカ史ではあるのですが、戦争を通して、国家規模の制度設計が一気に進む話は他国でもよくあるなと色々と連想していました。
また関連して、南北戦争期にアメリカで新聞雑誌が大きく発展した、という話は、上記の国民創造にとってのメディアの重要性を再認識させてくれます。

近代ナショナリズムの形成において、出版資本主義に着目したのは、ベネディクト・アンダーソンである。「われわわ」という同朋意識を作るうえで、近代の出版文化は重要な役割を担ってきた。実は、アメリカで新聞雑誌がビジネスとして大きく発展したのは、奴隷制問題が国民の大きな関心事となる1850年代だということはあまり知られていないかもしれない。

p.125.

その他、印象に残った点をいくつかメモ。

一点目
19世紀の中で、アメリカが自由を称しつつも、「帝国」としての様相を強めていく点です。
ルイジアナ購入にしろ、フロンティアの開拓にしろ、その影の部分としての、先住民族の生活破壊・掃討という論点は外せません。とりわけ印象に残ったのは、国立公園が、先住民排除を意味していたという点です。
環境政策の視点で、米国の国立公園がポジティブに論じられることもありますが、それが誰の土地なのかという批判的な視点、大切にしたいです。

この時期にアメリカでは、イエローストーン。メサ・デルベなど、原生自然の保護、景観保護の名目で国立公園となった。だが、これらは先住民の聖地を奪う行為にほかならず、国立公園の設置は先住民にとっては入場料を払うことなく故郷に入れない、見えない壁の建設に他ならなかった。

p.176.

その他、フィリピンとの戦争、占領、植民地化政策の矛盾(p.196.)を含め、米国の国内政策と国外政策のダブルスタンダードな状況も19世紀にすでに顕在化していることも実感できました。(その後、20世紀により強固になるのでしょうか。)

二点目。
南北戦争の際に憲法修正14条が最大の論争点の一つになっていたと思うのですが、その後の、共和党急進派の提案する修正第15条によって、結果として各州での移民排除などが起こっていくプロセスについてです。共和党内の急進派の理想とその難しさは南北戦争時にもみられましたが、そのことがより表面化していったようにも感じられました。

投票権付与の憲法修正によって、皮肉なことに各州が政治的思惑から投票の質を維持するため、人頭税や識字率手テスト、財産規定などにより、合衆国国民にふさわしい「市民」の選定・排除を開始したのだ。

p.148.

私は、自分の研究対象の関係もあり、20世紀をどうしても中心にみてしまいがちなのですが、南北戦争がアメリカ社会を変革し今を形作るポイントであることは本書を通して実感できました。

また、これは完全な余談なのですが、
近いうちに米国ヴァージニア州に出張する予定があり、そういう意味でも南北戦争の前後の経緯について学びなおせて、大変意義を感じました。
勉強になりました。

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