読書メモ

【本】ワークショップ・ミュー(1999)『「まなび」の時代へ:地球市民への学び・30人の現場』小学館.

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目次は以下の通りです。

第1章 「地球市民への学び」―30人の現場リポート
・子どもたちと向き合う
・自然と向き合う
・地域、コミュニティーに根ざす
・歴史、文化、人を見つめ直す
・自分の内面と向き合う
第2章 座談会「未来への教育」を探る

環境教育の持つ、既存社会の前提を問い直すラディカルさや新たな可能性を指し示す力強さを感じられる本です。

本書の企画は、「環境教育は、従来の教育への異議申し立てである」(p.9.)という言葉から、始まったと言われます。
それと通底するように、「環境教育」という言葉が広がる社会状況への批判的な視点と、そもそもの社会像を問い直すような視座は、何度も出てきます。

「環境教育」と看板をかけ替えた、従来の教育スタイルが繰り返されるのではないか。環境がすべてに優先し、今と同じか、今以上の息苦しさの中にある未来になりはしないか。環境ファシズムとなって人間が疲弊するだけの社会になりはしないか。誰もが環境教育を口にする、そんな世情の中で、環境教育とは何か、日本の環境教育はどこへ行くのかを考えてみたかった。

p.10.

このような本の趣旨の一端は、以下の高田研さんの文章にも表れている気がいました。同時に、本書の問題意識を前面に表している内容でもある気がします。

髙田さんがある言葉とめぐり会う。それは、「公害教育ではない新しい環境教育」という同僚の発言だった。「実はこの言葉を聞いた時、偉い違和感があった。『そんなきれい事では済まへんかずや。』直観的にそう思った。」公害教育も、同和教育も、そして自然保護教育も、人間の泥臭い部分をすべて引き受けた上で初めて成り立つもの。その世界で生きてきた高田さんにとって、「公害教育ではない新しい環境教育」とい言葉の持つ、公害教育の伊庭、人間や人間関係抜きの世界が解せなかったに違いない。しかし、このとき抱いた違和感が、高田さん自身にとって「教育のあり方」を考えるきっかけになっていく。

pp.231-232.

本書では約30人の実践家への取材を通して、さまざまな事例やその問題意識が紹介されており、一つ一つが勉強になります。
また、紹介される実践から、一般的な意味での学校教育や学び方への批判や問い直しを求める精神性が感じられるのも大きな魅力です。
例えば、頭だけの理解ではなく、体験や出会いを通して学ぶ、という視点は本書で紹介される多くの実践で見られる点だと思いました。。

また、実践のノウハウ以上に、関係者の生き方・あり方を問うてくるような、そういったメッセージ性が随所に見られます。

家族や、家事・育児への参加ということを意識する人は、女性も男性も今後もっと増えてくるでしょう。そういう人たちにこそ、しっかりとした生活観、ライフスタイルを持ってほしいと思う。その際、自分の家族はどういう活きかtをするのか。どういうところに価値を置くのかーー。誰かが『環境にやさしい』と言っていたからやるのではなく、自分の内的な価値観として選び取ることがとても重要ですよね。自分自身の価値基準で暮らしを選び取る、作り上げる。そのための知識、技術、マインド、感性を持つ必要がある。それは女性だけではなく、子どもも、男性も持つ必要があるんですよね。

p.166.

仕事だからとか、利害があるから市民活動や社会活動に関わるのではなく、本来自分がどうありたいと思って生きているのか。そこの軸へ繊細さというか、一日一日を生活者として生きていくことの意味を再確認させられます。

その他、個人的にいいなあと思った章をいくつか紹介します。

一つ目は、天野秀昭さん(世田谷ボランティア協会・当時)のお話しについて。
遊び場を経験した子どもたちのその後を調査することへの天野さんの意見がいい。

調査した方がいいと言う人もいる。だけど俺はやりたくねえ。もし、仮にその子たちが生き生きと幸せに生きている、なんて結果が出たら、今度は、生き生きと生きるために、なんて目標が設定されちゃうかもしれないでしょ。そんなの遊びじゃなくなっちゃう。俺は、遊びは、そのときやりたいことを自分で試すことができる、ただそれだけのことだと思うんだ。

p.42.

二つ目は、早瀬昇さん(大阪ボランティア協会)のお話について。
ボランティアの定義について説明する際に、ボランティアは、本来『したい人』という意味で、価値観を伴わない言葉であること。しかし1994年に文部省がボランティア体験の評価を内申書に盛り込むことを決定してから、若者のボランティア・イメージはすっかり『偽善』になってしまったこと。(p.124.)などを述べつつも、ボランティアにとって重要となる自発性について「「言われなくてもすること」であり、また同時に、「言われてもしないこと」」(p.124.)と述べているのが印象に残りました。

その他、
組織や活動のあり方として、企業の完全に利害が一致しなくても、協力できる点を探していくことを大切にし、「既存のシステムが“ちょっと違う”からといって、外に土俵を作っていっては底力は生まれないんです。今ある土俵の上でどうやって買っていくかを考える。柔道の技で言えば“巴投げ”です。」(pp.170-171.)という話もそうですし、何らかの市民活動が終わると人がどんどん離れていくことへの衝撃から「勝っても負けても、海や森が好きな人が残る、そんな活動にしなければ、何もならないという結論に至った」(p.136.)という話なども、市民活動や市民運動を考える上で、大きな示唆を感じました。

流行りすたりではなく、じっくりとコツコツと、信念をもって実践をされている先輩方の熱い想いに満ち溢れた本だと感じました。

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