目次は以下の通りです。
第1章 身体知の構造分析論と運動学習・運動教育の問題
第2章 教育の基盤と「学び」に関わる問題と身体知
第3章 身体知と「知」の変革の問題
第4章 身体運動技法の考古学―身体知研究の一様態
第5章 美術教育の哲学的基礎としてのアート教育―身体知研究の展開
第6章 ドレイファスの人工知能批判と身体教育
「身体知」とは何かについて、さまざまな視点から論じた本です。
全体として、大まかに捉えるべき論点と、より詳しく理解したい論点の構造化があるように私には感じられました。
例えば、「どんな知識も学び手の具体的な活動に具現化され、学び手の経験の中に織りこまれることなしに、「学び」としての意義をもちえない」(p.62)という引用文だけでなく、実践知と理論知の結びつきが重要である点などは、一般論としてはわかるのですが、その先に議論が進んでいきます。
実践知―理論知あるいは、経験知―科学知といった知の広がりを考えてもいいのであるが、いずれにしても「学問知や理論値や科学知」と「身体知」が全然関係のない別物と考えられるのではなく、それらに本質的で根源的な結びつきがあることが理解されなければならないのである。
p.184.
その中で、一番理解しやすいのは、主教科、周辺教科の議論でした。
5教科と呼ばれる教科郡での学びの内容と方法と、「美術」・・・の教科群での学びの内容と方法が、改めて比較されなければならないだろう。「美術」・・・の教科群が主要な教材として扱う芸術やスポーツや日常の生活技法である学びには、ご強化と呼ばれる教科群では失われてしまったような重要な契機があるのではないか。その一例は、「分かる」と「できる」の関係の問題である。できることによってはじめて「分かる」ことがあるのではないか、できなくても「分かる」という分かり方が、ひょっとすると現行の学校教育の中心になっているのではないか、特に5教科と呼ばれる教科群において。「美術」・・・では、〈実践〉というダイレクトな学びの姿の重要性が理解されているのと同じように、例えば「数学」や「社会」の〈実践〉ということを考えなければならないことを「美術」・・・の教科群は示しているのであり、われわれははそれに気づき、すべての教科に通じる学びのあり方を検討し直してみなければならないのではないか。
p.115
主要教科における「わかる」と対比される「できる」とは何か。この問いかけは非常にクリティカルで、現代の教育改革が模索している潮流の一つでもあるように感じます。
また、ここで言われていることは、著者も述べているように、「「周辺教科」の関係者がもっと頑張る」という話ではなく、抽象化された知識への偏重や、本来の知の身体性を学校教育全体が真剣に向き合うべきものであるとも読めました。
また、身体知という際に、分かりやすい体の動きを強調して捉えるのではなく、地理の授業で「ヨーロッパやアジアなどと対照しつつアフリカという世界を自分自身の認識世界の中に構築する」時に身体的に学ぶこともあるし(p.64.)、引用でも挙がっていたように、例えば、環境問題が孕む問題点を「身体を通じて世の中を視る」ことが重要となってくる(p.53)という点なども印象に残りました。
また、理論が内面化している状況で、さまざまな視点や知識が統合されている状況において、何でもそれを分析的に捉えることが実践者にとって良い結果をもたらすとは限らないという点も考えさせられました。
我々は理論を内面化する。・・・諸要素の統合が内面化であり、内面化は、ある種の物事を暗黙知における近位項として機能させるための手段となる。事物が統合されて生起する「意味」をわれわれが理解するのは、当の事物をみるからではなく、その中に内在化するから、すなわち事物が内面化するからである。包括的存在を構成する個々の諸要素を事細かに吟味すれば、個々の諸要素の意味は拭い取られ、包括的存在についての概念は破壊されてしまう。それは、ピアニストが自分の指に注意を集中させすぎることによって演奏動作が壊れてしまうという、現実的に経験されることなのである。
pp.84-85.
その他、「芸術」から「アート」へという視点の提示(p.61)の中で、身体的なパフォーマンスが重要となり、その際の技能の価値が重要視されています。
おそらく、ここでの「技能」をいかに狭く捉えず、広義の「アート」の概念へとつなげていくかが、一つの論点になりうるのだろうと感じました。
この表現が周到になされるためには、技能が求められる。技能、それは広い意味で「わざ」であるが、その習得が感性の表現のためには必要なのである。美的教育を狭く精度化された芸術の教育、すなわち美術教育や音楽教育に限定せずに、また、その技能の習得も美術や音楽の固有の技能に限定せずに、〈世界〉(自己)の構築としての学びをもたらすような表現=行為をなしうる、これまた広い意味での「表現者」の育成が、ここでいうアート教育が目指すものなのである。
p.131.
まだ未消化の部分もありますが、関連書を読み進めていきたいと感じました。