目次は以下の通りです。
はじめに
序章 戦後日本教育実践史の全体像と研究課題
第1章 戦前・戦後をつらぬく業平小学校のカリキュラムと教育実践の展開
第2章 「全国青年教師連絡協議会」の教育研究運動の展開
第3章 「熊本若い教師の会」の発足と展開-戦後史の転換点に生きた熊本の教師たち-
第4章 戦後「民間教育運動」の形成と地域教育実践-奈井江プランの構築過程と授業実践
第5章 「日本社会の基本問題」と社会科三プラン
第6章 香川県社会科教育研究会青年グループの生産労働実践の展開
第7章 戦後の郷土教育運動と「地域と教育の会」
第8章 兵庫・但馬の地域教育実践-東井義雄をひきつぐもの
第9章 生活綴方教育運動と「教科の思想」-剱持清一の捉え方の分析-
第10章 土田茂範の生活綴方教育の歩み-戦後東北・山形の地域教育実践の一つの姿-
第11章 1970年代における総合学習の実践と理論-『教育課程改革試案』(1976)での総合学習の提起を中心に-
第12章 「学びの協同化」の観点から見る戦後社会科実践史-鈴木正気,安井俊夫,加藤公明実践の関係論的分析-
第13章 戦後世界史教育実践史研究序説-世界史論断章-
結章 戦後日本教育実践史の新段階と「場の教育」「シティズンシップ教育」
本書では、「戦後教育実践」の発掘や再解釈が行われています。
前半は戦後初期~60年代頃が中心に、後半に行くにつれて、現代に近づく形で対象が扱われており、様々な時代の実践に触れることもできます。
とりわけ、焦点が当てられているのは「民間教育団体」による教育実践です。その際に、民間教育団体を論じる際に従来と異なる視点から論じることを、本書の最初の時点で明確に述べています。
私たちの共同研究では、教育実践は「戦後初期新教育」批判を踏まえて展開されてきた民間教育運動としての教育実践を中心としているが、それゆえにこの「教育実践」というものを単に「反権力」運動の立場からの教育実践と位置付けることになれば一面的であり、これらの教育実践がそれぞれの時期の社会的歴史的課題とどう切り結びどのような教材構成や授業展開を進めつつ、子どもや父母地域住民とどのような学校をつくりあげているかという観点から位置づけ直すことも重要な課題である。
p.2.
民間教育団体の実践はともすると、団体の内側からは美化されて論じられ、外側からはイデオロギーや反権力のフレームで捉えられやすい。そうではなく、もっと民間教育団体のディテールや文脈にこだわって論じていこう、というのが本書の趣旨だと理解しました。
本書を読んで特に印象に残るのは、全国の教師達がサークルや研究会の活動を活発に企画・運営していく姿です。
本書では、「全国青年教師連絡協議会」の活動をはじめ、「熊本若い教師の回」「新潟若い教師の会」「埼玉県教育研究会」「香川県社会科教育研究会青年グループ」などなど、各地の教師達の活動の様子や、会の紆余曲折が描かれています。
中でも、「夜を徹して話し合った」のような、当時の熱量のすごさが感じられる記述も複数見られ、圧倒されました。(先生方、徹夜しすぎでは・・・と一瞬感じましたが。。)
その他、印象に残った点をいくつかメモしておきます。
一点目。
各民間教育団体の性格の違いもさることながら、各団体が相互交流したり、共闘しているような場面がみられる点です。
1950年代前半の社会科解体論や愛国心教育の強調などの流れの中で、それに反対して反対して続々と民間教育サークルや団体が誕生したことは知られています。
また、これらの団体が、「社会科問題協議会」(略称社問協)を結成し、国民世論に訴えて社会科解体に反対する運動を展開していったこと(p.96)も知られています。
それに関して、本書では、例えば、日教組の研究集会などが、各団体の総合交流の場として機能していたことを指摘しています。以下、学習指導要領の法的拘束力が1958年に規定され、官報告示という形になったことに対して、次のように述べられています。
これに対して、1950年代後半の文部省への抗議運動は、日本教職員組合(日教組と略す)が毎年開催する全国教育研究集会(教研集会)で行われていくことになる。・・・(中略:斉藤)・・・日教組全国研究集会の社会科分科会は、先の社問協の果たした役割を引き継ぐような形になっていた。同時に、民間教育サークル諸団体の相互交流、相互批判の場ともなっていた。したがって、日生連および全青教の「日本社会の基本問題」を軸にした社会科理論や実践は、歴教協や教科研、地理教育研究会、郷土全協などのサークルでも議論されることとなり、社会科のあり方が幅広く論議されていったのである。
p.106.
二点目。
各民間教育団体が、外国輸入の理論ではなく、日本の状況にあった独自の教育を作り出そうとして言ったことが随所に描かれています。
例えば、「教育史研究会」が「輸入的な理論ではない、日本の教育実態に根ざした現実的分析の必要性」(p.11.)を提起しています。
その他にも、山形の大石田小学校の事例をはじめとし、東北の諸実践では、戦前の生活綴方教育運動の遺産を生かしながら、戦後初期から学習指導要領に対する批判的な検討が行われていたことがよく分かります。
大石田小学校の社会科プランは、当時の「学習指導要領・社会科」とは一線を画した「社会問題法」によるカリキュラム編成を採用することにより、アメリカ社会科とは区別されるいわば「日本の社会科」カリキュラムを、まさに山形(=北方性)に根ざす「生活学校」構想の一環のものとして構想されていたと捉える。
p.172.
全体として、戦後新教育に対して、教科の論理や客観的な課題への自覚を促す方向に議論が向いていくプロセスが印象に残りました。
ここら辺の議論は、白井先生の著書『戦後日本の郷土教育実践に関する歴史的研究-生活綴方とフィールド・ワークの結びつき―』の内容や時代状況とも重なる点が多く感じました(実際、白井先生自身が本書を意識されています)。
三点目。
教育実践や地域づくりや住民運動との接点が顕在化しています。
特にそれが感じられるのは、奥丹後の渋谷氏の事例だと思います。同時に、教育実践と地域づくりを結び付けることの難しさは、1970年代以降の郷土全協は、教師ではない人が多数入ってくることにより住民運動団体へと変質してしまったこと(p.137.)からも推察されます。
その上で、本書では、「地域と教育の会」の取り組みを高く評価しています。
そうした中、渋谷らが立ち上げた「地域と教育の会」の取り組みは、教育実践、住民運動・地域づくりを結び付けようとした点に独自性があると言える。このように戦後の郷土教育運動は、地域住民の運動と学校教育の実践が結合していく過程をたどっている。
p.138.
その他、「熊本若い教師の会」が、黒髪校問題で理不尽にも学校から拒絶された子どもたちを支援活動をする様子(p.63.)も含め、戦後教育実践にかかわる教師にとって、地域の問題と学校の問題が地続きだったことが改めて実感できました。
勉強になりました。