目次は以下の通りです。
4月(そろばん勘定クラブへようこそ、お金を手に入れる6つの方法 ほか)
5月(リーマンショックはなぜ起きた、図書室で会いましょう ほか)
6月(似たもの親子似てない親子、「フツー」が世界を豊かにする ほか)
7月(働くということ、「タマゴ」がわかれば世界がみえる ほか)
8月(低金利の真犯人は「市場の力学」、株式投資と「神の見えざる手」 ほか)
9月(課外授業)
大変よくできた小説だと思いました。風変わりなクラブで、高校生二人が経済について学ぶ設定なのですが、両人の家庭の状況や抱える葛藤、悩みなどが絡み合い、読み物として面白く読めます。
いわゆる経済の教科書を前から順番に学んでいきながら、それを会話調にしている、といった類の読み物ではありません。
最初に「あなたのお価値、おいくらですか?」の問いから始まり、役に立つ職業と役に立たない職業を生徒に考えさせたり、高利貸し、パチンコ、売春を含め、必要悪はこの世に合っていいのかを議論などを経由し、最終的には、仮想通貨の話などにもつながっていくなど、かなりエッジの効いた内容となっています。
途中では、かせぐ、もらう、ぬすむ、必要悪、ダニ、などのユーモアあるキーワードと共に、おカネの特徴や、職業の性格などを分析していくことになります。
それでいて、後半には、経済的不平等の是正についても焦点化がなされており、バランスもとれている感じがしました。
印象に残った箇所をいくつか。
一点目。
「ダニ」と呼ばれる、一部の銀行家がかなり批判されています。これは特にリーマンショックの文脈で顕著です。
リーマンショックに関して、「煎じ詰めると、危機の根っこにあったのは、リーマンや他の大銀行が、所得の低い人たちに自力で返せっこない金額のローンを貸しまくったこと」(p.47.)とし、「優秀な銀行家たちがなぜそんなバカなマネをしたか」について、銀行家が「もうかるから」(p.49.)だと強く批判しています。また、それが国家によって救済されたプロセスについても、一部の銀行家によるツケを納税者が払う羽目になっていると批判しています。(p.55.)
銀行家を強く批判する文脈は、先日読んだヤニス・バルファキス著:関美和訳(2019)『父が娘に語る経済の話。』と似た特徴を感じました。
なお一方で、リスクを取って企業に大事なお金を投じる投資家が、経済成長を支える陰の主役であり、世のため人のためになる仕事をしているとされること(pp.204-205)など、投資によって社会をよくすることを説明する場面は少なからず出てきます。
二点目。
必要悪の議論のところは、メインキャラクターの生い立ちとも相まって、かなり緊張感があります。
高利貸しが必要悪なのか、という話もそうですし、
他にも、戦争が必要悪なのかについても議論が及んでいます。
その際に、以下の文章は、私たちが皆、実は「必要悪」の恩恵を受けて生活をしていることへの罪悪感や申し訳の無さを象徴する文章のようにも思えました。
それはそれで良いのです。 あなた、まだ中学生なんだから。でも、いい大人になっ たら、そうはいかない。 いつまでも戦争が絶えず、 今日もどこかで誰かが銃を取り、別の誰かと打ち合うという現実に対して一定の責任があるからです。 直接、政治や軍事に携わっていなくても、です。 この現実から目をそらしてはいけない」僕はカイシュウ先生の迫力に圧倒されていた。「だから、ワタクシが戦争と軍人を必要悪と呼ぶときには、痛みがあるのです。 自分 自身の手足が世界に害をなすものであると認める痛みが。 子どもたちの世代に戦争のない世界を引き継げなかったという痛みが。 なぜならワタクシも、その必要を抱え込んだ社会の担い手だからです。 戦争も軍人も、人ごとではないのです」
pp.82-83.
三点目。
貨幣やおカネが「信用」によって成り立っている、という点が後半で詳しく示されていきます。
このシステムにはいくつも前提が隠れています。たとえば預金者が一斉にお金を引 き出そうとしたら銀行は対応できません。準備金以外は貸し出しに回してしまってい るからです。でも現実にはそんなことは起きない。 預金者は銀行がつぶれることはな いと信頼してお金を預けっぱなしにしている。銀行はそうした預金者の行動パターン を信頼して、金庫にお金をしまっておくのではなく、企業や個人へのローンにお金を 回す。そして、ちゃんと相手を選べば、貸したお金は返ってくると信頼している。ネットワークのどこかでこうした信頼感が失われれば、信用創造はとたんに滞ります
p.245.
ちなみに、1万円を1枚刷るのに20円かかり、1円を作るのに2,3円かかるという話(p.248.)、知りませんでした。そうなんですね。
様々な小説を読んでいきたいと思わされる本でした。