目次は以下の通りです。
第1章 もう一つの教育基本法―教師たちの戦後責任とナショナリズム
第2章 国民内部の一体性―加藤文三「石間をわるしぶき」
第3章 国民史の起源と連続―月の輪古墳発掘運動
第4章 国民的記憶の揺らぎ―本多公栄「ぼくらの太平洋戦争」
第5章 反復される記憶―地理的統合とポスト植民地主義
終章 「国民」を創造する装置としての学校教育
戦後の(歴史)教育実践史の中で、日本人を育てることの意味を、問い直してくれる一冊だと感じました。
全体を通して、教育関係者が、戦争経験を踏まえて、自分自身で考えられる生徒たちを育てようとしながらも、結果として、その実践の背後にあるイデオロギー性であったり、理想視した理念自体を批判的に吟味できないなどのジレンマに陥る場面が多く描かれていると思いました。
いくつか印象に残った点をメモします。
一点目
教育基本法が、人民を国民に意図的に書き替え、国民以外を排除する性格を内在していたのにもかかわらず、逆コース以後の流れの中で、革新派の教師たちが教育基本法を理想視していった矛盾が描かれています。戦後の外国人教育政策の中で、教育基本法の排除性については認識していましたが、その後の教育基本法の語られ方と併せて考えていく視点はとても大切だと感じました。
1940年代末から50年代にかけての一連の政治改革が当時一般に戦前への「逆コー ス」と認識されていたこと、政府は1950年代の早い段階から教育基本法の改革を目指していたことなどから、当初、教育基本法に対して批判的だった革新派の教師たちはいつしか教育基本法を理想視することになった。そして彼らは、基本法「改悪」の動きを阻止し、教育基本法を 「守る」ことを 運動の旗印とし、新たな事態に対しても教育基本法を積極的に解釈することで、その精神や理念を 「活かす」ことを目指していた。その点で、戦後の国民教育運動はいわば「防衛的」であり、本法の理念を積極的に問い直し条文を改善していこうとする姿勢は希薄だった。
pp.46-47.
二点目。
国民的歴史学運動の中での、「国民の歴史」を掘り起こしていく歴史実践の中でも、国民とは誰なのか(そこに含まれる多様性を描けるのか)ということへの揺らぎであったり、岡山県月の輪古墳発掘の歴史実践のなかで、「民族」の概念をとりあげるのは、子どもではなく大人であったり、岡山県在住の被差別部落の人たちや在日朝鮮・中国人の人々であったこと、なども一面的な歴史観が相対化されたような感覚で、勉強になりました。
三点目。
また、本多公栄の実践を「アジアからの批判的まなざしに積極的に応え、アジアとの対話可能な像において国民の歴史を構築しようとする立場と、アジアからの批判的まなざしを拒絶することで閉塞的な国民の歴史を構築しようとする立場。」の系譜の中で、1990年代の歴史教科書論争にも見られる、国民の歴史的記憶をめぐる対立の構図」につながる1970年代の論争点を見出していること(p.130.)も印象に残りました。
なお、安井実践を含めた「楽しい授業」が、歴史学を軽視したり、教科書ベースの授業を志向したのかという点は、論争的で、解釈の余地があるようには思いました。同時に、私の捉えてきた社会科教育実践史のイメージとは異なっていたため、今までの解釈が相対化され勉強になりました。
学習指導要領の拘束力が強く、教科書に書かれていることだけでも教えることができないという意識に教師が苛まれ、さらに受験に役立たない知識を教えてほしいという保護者からの要請も強くなるなかで、史料を示し、史料を相互批判を行い、じっくり考え合った上で発言するような授業を構想することは、現実には困難だと捉える風潮が強かった。 また歴史教育のみならず、1970年代以降、小学校と中学校全教科にわたって「楽しい授業」の創造を教育現場における至上課題とする風潮があった。さらに厄介なのは、歴史教育に関する教師たちの知見を歴史学から独立した領域の見識として歴史学に対して認知させたい、という歴史教育研究者側の意向が、「楽しい」「子どもが動く」 歴史教育実践への論評を好意的なものにしていったことである。たとえば、安井俊夫はみずからの実践について 「歴史学とは異なる歴史教育固有の論理」に基づくものであることを主張していた。それに対して、 1980年代にはすでに宮城教育大学教授に転出し、歴史教育者協議会の事務局長として運動を組織する側にいた本多公栄もまた、安井実践に歴史教育における「歴史学の相対的独自性」の積極的な可能性を読み取っていた。
pp.206-207.
四点目。
沖縄復帰闘争のため国民教育運動について論じられているのですが、「沖縄と本土の教師たちによるすれ違ったままの国民教育運動は、戦前期における植民地主義の戦後的変容ではなかったかという疑念も禁じえない。」(p. 165.)という一文は、戦後教育の持つ植民地主義的な性格やその意味を考える上で、強烈に印象に残りました。
この話は、沖縄では、日の丸掲揚運動・標準語教育をはじめとして、沖縄の教師たちの考える日本人の文化を、沖縄の子どもたちに躍起になって獲得させようとする過剰なまでの国民化教育が展開されたのに対して、本土の教師たちは、沖縄の復帰支援による国民統合を、 教育労働者としての自己の「人間性」の向上といった、きわめて精神性の強い運動へと次第に矮小化させてしまったこと(pp. 164-165.)を指して、言及がなされたものでした。
以上、勉強になりました。