読書メモ

【本】天野秀昭(2011)『よみがえる子どもの輝く笑顔:遊びには自分を育て、癒す力がある』すばる舎.

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目次は以下の通りです。

はじめに 子どもにとっての本当の幸せとは、「生まれてきてよかった」という実感を持てること
序章 自分のことが好きになる遊び場、プレーパーク
第1章 遊ばないと魂が死んでしまう
第2章 子どもを規格製品化する社会
第3章 子どもの輝く笑顔をよみがえらせるために
おわりに 遊ぶことで、子どもは自分の世界を築き、自分を表現し、自分を癒やす

先日に読んだ大村璋子編著(2009)『遊びの力:遊びの環境づくり30年の歩みとこれから』に引き続き、「遊び」関連の本を読みました。
著者は、NPO法人「日本冒険遊び場づくり協会」の副代表(出版時点)をされています。

エッセー風に書かれていることもあり、大変読みやすく、同時に著者の熱量や問題意識も伝わってきやすかったです。

印象として残ったのは二点のことでした。

一点目は、遊びを考える際に、子どもが感じることであったり、情動的なものを大切にしていることです。理屈で考えるよりも感じることが大切であり、それが遊びの本質、という思想のようなものを感じました。

遊びで大事なことは、まずそれを体感すること。基本的に遊びというのは、理解するものではなく、「体感」して「実感」し、「体得」するものだ。「理解」には限界がある。なぜなら、それは意識の世界だからだ。

p.19.

自分と相手が違うということは、理屈だけでは理解できない。互いの情動がぶつかって、その中で互いの情動に違いがあるということを知っていくのが、人間の理解の本質だと思う。

p.137.

ちいさいときから都市化をたたきこまれた子は、情動を揺さぶられることを極力抑えようとする。「おもしろそう」「やってみたい」と思うことをしようとすると、「ダメ、そんなことしたら!じっとしていなさい!」と怒られるわけだから、情動を動かさないように努力するのだ。

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この「情動」に関する話は、現在の教育政策でよく上がる社会情動的スキルの話とは根っこが違うのだと実感します。
著者は「子どもが十分に遊びこむ。これはその子にとっての、魂の体験なのだ。」(p.5.)とも言っており、これらの発想が著者の考えの中核にあるように思いました。

同時に、「ほめることは、基本的に善悪、正誤の価値観に基づいていると思われるが、おもしろがる、喜ぶは情動の世界である。子どもが「やった!」と感じているときに一緒に喜んでくれたら、理解してくれていると、きっと心から感じることができるだろう。」(p.160.)という指摘には、「そもそも何のために褒めているのか?」という点が問い直されているようにも感じました。

二点目は、「やってみたい」「楽しい」という感覚にこそ、遊びの目的があるということ。何かの目的のために二次的に遊ぶということは想定されていないということです。

遊びの世界の最終目的は、単純に「楽しむ」ことである。勉強のように目的を見定めて、そこに到達していくということを、遊びの世界ではほとんど価値化していない。自分が「これやったらオモシロそう!」と思って始めても、それより楽しそうなことがあったらヒョイと移ってしまう。こうした具体的な目的変更なんていうのは、遊びの世界ではちょくちょく起こっているわけだ。でも最終目標は一切揺れていない。それは楽しく遊ぶこと。楽しいと感じることだ。

p.165.

これは「やってみたい」という衝動の話とも関連すると感じました。「「やってみたい」。この気持ちが湧いたとき、人はとてつもないエネルギーと、集中力を生み出す。」(p.41.)のだけれども、そのために遊んでいるわけではない。そういうプロセスにこそ力点があることの重要性を感じます。

その他、色々と示唆を得ることができました。

・学校化した地域と家庭することによって、どこに行っても学校的な評価ばかりを受けていたら、子どもは息を抜くことができないこと。(p.122.)
・親とは違う価値観をもつ「ナナメの関係」にいる大人の存在が重要になること。(p.126.)
・少子化の問題を「子ども一人あたりに対して、監視する大人の数が増えている」「多大化」現象が起こっていると捉えていること。(p.100.)
・ヤンキーのエネルギーは大人がやけどするので社会問題として大人も熱心に取り組んだが、現代的な自傷や摂食障害やひきこもりなどの「自滅型」に対しては、放置する傾向があること。そして家庭と親子の問題として存在そのものが社会から隔絶されてしまっていること。(p.115.)

最後に、「震災ごっこ」に関する著者の考察に心動かされました。読者によって賛否はあると思うのですが、本書の一番の強烈な主張を、ここに見た気がします。

「震災ごっこ」は、傷ついたその子の心の「癒し」だといえる。自分の中に収め直せるということが癒されるということ。そこで自分を表現し癒やすことができれば、心の闇にまでならない。けれど、それを「出してはいけない」と押し殺されたときに、決して陽の当たる所には出せない闇として深く心に沈んでいく。

p.182.

色々と触発される場面が多い本でした。

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