目次は以下の通りです。
第1章 崩される社会保障の岩盤
第2章 届かない叫び声
第3章 家族の限界
第4章 当事者の一歩
第5章 問われる日本社会
生活保護や貧困当事者への支援を行われている稲葉剛さんの著書です。
以前に、岩田正美さんの『生活保護解体論』を読んでいたので、そのタッチとだいぶ違うのが印象的でした。
著者自身も述べる通り、生活保護における問題点を現場目線で追究する点が強く、同時にエピソードや事例が豊富であると感じました。
本書を読んで一番印象に残ったのは、生活保護をめぐる社会的なスティグマについてです。
著者自身、そのスティグマが生活保護の補足率の低さを生み出す原因になっているのではないかと述べています。
表2-1のように、日本の生活保護制度の補足率の低さは、EU諸国と比べて際立っています。また、人口に占める制度利用者の割合(利用者)も、EU諸国の三分の一から六分の一程度と低くなっています。何故補足率が低いのか。私はその要因として、「水際作戦」以外にも、制度に関する周知が徹底しておらず、無理解や誤解が広がっていることや、制度に関するスティグマが強いことなどがあげられると考えています。
pp.69-70.
そういう意味では、後半に出てきたJ・K・ローリングが20代後半でシングルマザーとして公的扶助制度を利用しながら、「ハリー・ポッターと賢者の石」を完成させた話は改めて象徴に思えました。以下のように述べられています。
日本では、もし生活保護利用者が「おとぎ話を執筆している」と言えば、それを知った人や担当ケースワーカーから「そんなことをせずに仕事を探せ」と言われかねないでしょう。日本でもイギリスのように生活保護利用に伴うスティグマが解消されれば、利用者は負い目を感じる必要もなくなり、制度を必要としている人が心理的なハードルを感じることなく利用できるようになるでしょう。そして、生活保護制度はもっと利用者の可能性を花開かせることができるようになる、と私は信じています。
p.154.
本書では、このスティグマに関わるエピソードがいくつも紹介されているわけですが、なぜ日本社会は生活保護に冷たいのか?という問いが自分の中に残りました。
また、生活保護の問題を、家族の問題に押し込めてしまうことの問題点も強調されていました。
「個」を「親密的領域」から解放するための手段としての生活保護制度の活用は、生活困窮者やDV待被害者の相談支援、精神保健の現場では広く行なわれてきました。しかし、それは「公二分法」に基づく家庭観・社会観が支配的な日本社会では理解を得にくいため、その積極的な意義について、相談に携わる現場の人間が語ることは少なかったように思います。こうした家族観・社会観をめぐる相違が生活保護の運用をめぐって呈したのが、2012年に発生した「生活保護バッシング」だったと私は考えます。
p.92.
親が生活保護を利用している限り、子どもが親元から離れ、経済的に自立をしたとしても、福祉事務所から、親族としての扶養義務の履行を求められることになるという話(p.112.)も、深く考えさせられます。
社会問題を私的領域へ押し込めるのではなく、問題の「社会化」をする必要がある気がしました。
また、『生活保護解体論』では現場レベルの自主裁量の幅があることの良さも一面として示していたような気がしますが、本書では、水際作戦に代表される役所対応の負の側面が強調されており、この点も現場の視点が強く示されているように思います。
最後に、本書を読んで一番感じるのは、貧困脱出のために、著者のNPO団体であったり、ボランティア団体と出会うことの重要さでした。
勉強になりました。