戦後日本において「戦後民主主義」という言葉がどのように語られ、変化してきたのかを論じた本です。
目次は以下の通りです。
第1章 敗戦・占領下の創造―戦前への反発と戦争体験
第2章 浸透する「平和と民主主義」―1952~60年
第3章 守るべきか、壊すべきか―1960~73年
第4章 基盤崩壊の予兆―1973~92年
第5章 限界から忘却へ―1992~2020年
終章 戦後民主主義は潰えたか
読後感としては、日本社会自体が解決不可能なジレンマや難題を抱えているのだということが、「戦後民主主義」という言葉を通して表出されているような気がしました。
戦後改革、日本国憲法の位置づけ、日米安保体制、自衛隊の存在をはじめとし、「戦後民主主義」を称する人たちにとっての解決しにくい難題が一方であり、その難題を抱えた状態をなかば嘲笑するかのような、現実主義的な見方が顕著になっている。そして、その現実主義的な見方が顕著になればなるほど、「戦後民主主義」の理念が形骸化していく。そういった、日本社会のジレンマが凝縮されているような印象です。
全体として、戦後民主主義の言葉のルーツや変遷などがよく分かります。
1947年のゼネラルストライキをマッカーサー指令で中止した意味(p.45-46.)、戦後直後では、憲法改正の主張が、国内世論的にもメインストリームだったこと(p.55.)、1950年代になると、「日本はアメリカの従属国なのか」という議論が起こる経緯(p.68.)、1950年代の社会運動の主な担い手は護憲団体だったこと(p.69.)、などなど。また、日米安保条約をめぐって、知識人や岸政権との意見のズレや、社会運動への発展(p.91.)、社会党が自衛隊違憲論を修正する経緯(p.202.)なども、印象に残ります。
二点感じたことをメモ。
一つは、戦後民主主義の中核に平和主義の考えがあり、それが戦争体験と強く結びついた点です。それゆえに、高度経済期を通して、そういった平和主義の意識は一気に保守化・現実主義化していくのでした。
自衛隊の海外派遣が行われ、PKO協力法案が成立した1991年から92年にかけては、二つの意味で戦後民主主義が問われた時期だったと言える。 第一に平和主義の変質、第二に社会党の凋落である。60年安保闘争時には、多数決を拒否する議会内外での運動が大きなうねりになったが、もはやそうした運動は牛歩戦術への批判が示すように有権者の支持を得られなかった。60年安保闘争から30年以上経ち、民主主義が議会のみに矮小化されるなか、戦後民主主義的な価値観は過去のものになろうとしていた。
p.226.
1960年代末から70年代初頭にかけて、平和問題は政治エリートによって囲い込まれて外交・安全保障問題として孤立・純化し、平和を力の均衡の所として捉える現実主義的な熟度がますます影響力を持つようになった。こうした潮流と、佐藤政権の平和アピールとが手を取り合い、「平和国家日本」という自己イメージが形成されていく。戦後民主主義の行き着いた先に広がっていた風景とは、そのようなものだったのである。
p.172.
第一に、戦争体験と結びついた平和主義である。
p.278.
戦場・空襲・引揚げなどの戦争体験は、戦反戦意識や反核意識の母胎となり、憲法第九条が広く受け入れられる要因となった。空襲による死や引き揚げの途上での死など、 兵士以外の者を目にした経験は国家への根本的な不信を生んだ。体験と結びついた平和主義は狭義には「非武装中立」論として、広義には軍事全般への拒否感として定着した。1950年代から60年代の平和主義は、反米意識やナショナリズムを取りこむことで日米安保体制を鋭く批判する力となった。
ただし、世界を先導するとまで言われた平和主義は高度成長期を通して次第に保守化・現実主義化した。1990年代初頭になると、「国際貢献」の足かせとなる「一国平和主義」 として、戦後の平和主義は批判の対象にもなり、第九条の改憲論が影響力を増した。平和主義は、2020年代の現在も日本社会に一応は根を張っているが、それはきわめて消極的なものになった。2014年に集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたとき、戦後民主主義の平和主義的価値観は、ほとんど有名無実化した。
二つめは、戦後民主主義が何かしらの排除の論理を内包したうえで成立していたという点です。
とりわけ、ジェンダーの問題は根深く、ジェンダーの視点から戦後民主主義を捉えていく視点は重要なのだと感じました。
『危険な思想家』以後、戦後民主主義という言葉が論壇に定着したことは間違いない。戦後民主主義の擁護者は戦前と戦後の断絶を強調し、批判者は戦前からの連続性を指摘した。ただし、右肩上がりの経済成長を続ける中で、経済格差や男女格差の問題をまったく見落としていたという点で、両者は共通していた。
p.132.
家庭生活の充実を生き甲斐に掲げるという態度は、戦後ながら憚られてきた。 多田は、「公」に対して「私」を重視する戦後的な感覚に、戦後民主主義の光を見ている。「家庭」と いう場所を、「私」の感覚を練り上げる根拠地として再評価しようとするのである。 もっとも、戦後民主主義が、家族を持たない者や持てない者の幸福の問題を見落としがちだったことは、否定できない。また、「公」と「私」を峻別する姿勢は、「公」は男性のものであり 「私」は女性のものだというジェンダー規範を前提にしていた。
pp.155-156.
日本における「民主主義」の言葉が持つ意味を考える上で、重要な視点が盛り込まれていると思いました。。