読書メモ

【本】吉永明弘(2021)『はじめて学ぶ環境倫理-未来のための「しくみ」を問う』ちくまプリマ―新書.

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目次は以下の通りです。

第1章 エコな暮らしをすれば環境問題は解決するの
第2章 まだ生まれていない人たちの幸せを考える必要があるのか
第3章 地球温暖化はなぜ止められないのか
第4章 生物種の絶滅を防がなければならない理由は何か
第5章 つくられた自然は偽物か
第6章 都市生活は地球環境にとって悪いのか
第7章 なぜ古い建物を残さなければならないのか
第8章 環境を守るために何ができるのか

気候変動や地球環境問題が切実な問題となりつつある私たちに対して、環境倫理の視点をわかりやすく提供してくれる本です。プリマ―新書ということもありますし、各章の目次もテーマのインパクトが強く、随所に分かりやすい事例やエピソードがちりばめられており、総じて読みやすい本になっています。

前提となる「環境倫理」という言葉がよく誤解されると、本書では以下のように指摘しています。

環境倫理という言葉には、無駄な買い物はやめなさい、商品に対する欲望をおさえなさい、と個人の意識改革を求めるイメージがあるかもしれません。これに対して、物理学者の槌田敦は、「自動車に乗りたい」という欲望は、自動車でないと通勤できないという状況が生み出しているという例を挙げて、欲望には社会性があると主張し、そのような社会的欲望を個人の努力で抑えるのは不可能でありと述べています。そして、社会的欲望によって引き起こされた問題は社会の倫理によって解決する(毒物に税をかけるなど)しかないと主張します。個々では個人の倫理と社会の倫理が区別されています。そして環境倫理は禁欲や自己犠牲といった個人倫理よりも、法や経済といった社会制度の改革に目を向けるものなのです。              

p.20.

それを踏まえ、加藤尚武の「環境倫理学の三つの主張」に基づきつつ、以下の三点がまとめられてます。

(1)自然の生存権は「自然保護を法律で義務づけなければならない」という主張
(2)世代開倫理は「政治のしくみに将来世代への配慮を組み込まなく 「てはいけない」という主張
(3)地球全体主義は、「地球の有限性という観点か 経済活動の自由を制約する必要がある」という主張

p.30

 この三つの主張を踏まえ、「環境倫理は個々人の心がけを改善することを求めるものではなく、法律、政治、経済といった社会のシステムの改革を求め、新たなシステムを下支えするものなのです。環境問題を解決するためには、このような社会倫理としての環境倫理が必要となるのです。」(p.30.)と述べています。

こういった主張のもとに、環境問題の一番の論点は、個人消費の問題よりも、企業の生産の問題であるという主張(pp. 67-68)が明確に提示されています。個人的には以下の文章が印象に残りました。

市民や消費者に問題点があるとしたら、厳しい法規制を政府に求めない点や、 企業や生産者が環境破壊を行っていることを非難しない点にあるといえるでしょう。

p.68.

ここら辺の話は、『人新生の「資本論」』の話とも共通してくる部分のように思います。

個人的には、ナショナルトラスト運動の話の際に(p.174.)、先日子どもと遊びに行った「トトロの森」が出てきたことがテンション上がるとともに、あまり経緯を理解していなかった自分に反省したりもしました。

また、環境問題の観点から、都市生活を否定するのではなく、都市生活の中にある持続可能性や魅力を模索したり(p.138,)、作られた(再生された)自然が偽物かどうか、そもそも自然の価値とは何かを問うている点(pp. 107-108.)も印象に残りました。

最後に、明治政府が行った神社合併政策による神社神林の破壊に対して、南方熊楠が反対運動を起こしたことが紹介されています。自分が大切だと考えていることは、単なる「個人的」な関心事ではなく、多くの 人が感じている「公共的」な事柄かもしれない(pp185-186.)、という指摘には、「個人的なことは政治的なこと」と同じ論点を感じ、個々人の試みや問題関心が運動としての大きな意味を持ちうる可能性を改めて実感できました。 

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