目次は以下の通りです。
序章 アジア人留学生との出会い
Ⅰ 在日外国人はいま
Ⅱ 「帝国臣民」から「外国人」へ
Ⅲ 指紋の押捺
Ⅳ 援護から除かれた戦争犠牲者
Ⅴ 差別撤廃への挑戦
Ⅵ 「黒船」となったインドシナ難民
Ⅶ 国際国家のかけ声のもとで
Ⅷ 外国人労働者と日本
終章 ともに生きる社会へ
戦前戦後の日本における在外外国人に関わる歴史や論点が一冊に凝縮されています。著者の個人的な体験や関わった裁判事例などを豊富に示しつつ、歴史的背景や制度的問題点なども併せて紹介されており、読みやすく勉強にもなる本です。
本書を読んでいると、日本における外国人の地位がとても脆弱なものであることが実感させられます。
「入管体制」を象徴するものとして、しばしば引き合いに出される「外国人は似て食おうと焼いて食おうと自由」という元法務省高官の言葉の存在を知ったのも、こうしたなかにおいてであった。
P.26.
また、日本のテーマの中で、やはり在日朝鮮人の方々の歴史や論点についても多く取り上げられています。1948年の朝鮮人学校閉鎖の話も出てきます。
時代による多少の制度的変化はあったものの、「在日朝鮮人は、ある意味では「外国人」とみなされ、またある面では「日本国民」とされたということになり、結局は当局側にとって都合のいいように扱われたということになろう。」(p.66.)という著者の指摘が腑に落ちるような、その理不尽さが伝わってくる、様々な説明が加えられています。朝鮮学校が高校無償化の対象から除外された話とも密接にかかわってくるかと思います。
また、1970年12月、「日立就職差別裁判」(以下、日立裁判)に関して、日立製作所の採用試験に合格しながら、在日朝鮮人とわかると採用を取り消された話(137-138)が書かれているのですが、
個人的には、その裁判に勝訴したことによって、他の市民運動にも影響を与えていったことが印象に残りました。
以下の文章内での「さながら、日本における“公民権運動”のひろがりの様相を呈していた。」という表現などは、まさに在日外国人をめぐる市民運動の重要性を象徴している感じがして、自分自身の戦後史についての捉えなおしができたようにも感じました。
日立裁判が全面勝訴だったことは、その運動の過程そのものが内包したものも含めて、明らかに新しい挑戦への潮流を生みつつあった。支援団体を各地で支えたグループによって、「民族差別と闘う連絡協議会」(民闘連)が発足したのは、判決の年のことである。各地の支援運動は日立裁判を支える一方で、自分の足元にある具体的な差別を発見し、相互に連携し、交流を深めながら、おびただしい差別の集積に挑むことになる。各自治体の公営住宅への入居、日本育英会(現在は、日本学生支援機構)の奨学金の受給、日本電電公社(NTTの前身)の職員採用、そして関西を中心とする地方公務員の採用など、それぞれ「国籍」を理由とする差別をなくすために、様々な運動が展開された。さながら、日本における“公民権運動”のひろがりの様相を呈していた。日立裁判勝訴の翌年に大阪で初めてもたれた「民闘連全国集会」は、以降毎年、会場を各地に移して開催されていく。
p.141.
また「「黒船」となったインドシナ難民」という6章のタイトルにもあるように、国際社会のいわば「外圧」に影響を受けて日本社会の制度が変わっていくことが再認識させられます。内側の運動も重要ではあるのですが、国際世論や国際社会からの要請のインパクトというのは大きいのだなあと。
また、外国ルーツの子どもたちの学校教育の話や、外国人技能実習制度の話など、現代で焦点化されやすい論点にも言及がなされています。
その他にも例えば、
・「外国人登録法」や「入管法」の違いと役割、論点(p.28.)、
・在外外国人の政治活動禁止に対する反対運動(p.21-22.)、
・戦後の憲法において外国人の地位が矮小化されてしまった経緯(p.62.)
・国民年金裁判に関しては、勝訴を勝ち取るものの「同じような誤適用の例は過去に複数あった。」(pp.163-165.)という話。
・様々な裁判の勝訴によって、外国人の権利を獲得してきた歴史が描かれる一方で、「個々の裁判では限界があり、やはり新しい法律の制定が必要なのではないだろうか。」(p.160.)という指摘。
・参政権について考えるとき、日本では在外邦人が国政選挙から在外投票が可能だが、地方レベルの主張や議員の選挙はできないことと同じように、在日外国人は「国民」ではないが「住民」ではあるので、地方参政権を認めることは可能であるという話。(pp.257-258.)
などをはじめ、 様々な論点が示されています。
時代の中で運動に関わってきた著者が語る言葉に想いが強く感じられました。
大変勉強になりました。