目次は以下の通りです。
第1章 地図の起源
第2章 ギリシア・ローマ時代の地図
第3章 中世における世界図の退歩
第4章 近代地図のはじまり
第5章 地理的発見時代の地図
第6章 世界図における新大陸
第7章 メルカトルから近・現代地図へ
第8章 中国における地図の発達
地図の役割やその変化について、世界史的な観点から描いています。
地図の話をずっとしているのに、自然と世界史の話になっており、とても面白いです。
著者自身、以下のように述べています。
じっさい地図は各時代、各民族の世界観を無言のうちに明らかにしている。地図の歴史をたどっていくと、人間の活動範囲や世界観が手に取るように分かるのである。ギリシア時代に、一度は支配的な地球観となった球体説が、中世の宗教的世界観のために否定され、やがてルネサンスをへて、地理的発見時代の探検によって復活・実証される過程を、地図の歴史は雄弁に物語っている。
P.3 .
印象に残った箇所を幾つかメモしておきます。
1.ローマ時代における地理的知識の拡大にともなって、地理学もまた大きく進歩したが、ローマ人にとっては、有用であり必要があると認められたことのみが、研究に値するものとみなされたこと。結果として、ローマ人は、土木や建築などの分野では、すぐれた技術や能力を発揮したこと。(p.36.)
2.中世ではキリスト教の勢力はますます強大となり、ギリシア・ローマ時代を通じて発達してきた古代科学は、中世には異端の説として教会によって排撃されて没落し、すべての科学は、聖書こそ唯一絶対の真理とみなす神学のもとに統一、支配されたこと。(p.48.)
3.一方で、7世紀にはアラビアにおいてイスラム教が勃興し、やがて西アジア全般にその勢力が及ぶようになると、イスラム科学成立の基盤が培われたこと、8世紀アッバス王朝の時代には駅遁制度はよく発達し、特に正確な地理的知識が必要とされたこと(pp.57-58.)しかし、イスラムの世界図の多くは、地理書の付図として描かれた概観図であったこと。(p.59.)
4.十字軍の輸送に始まった地中海の海上交通は、ヴェネチア、ジェノヴァなどのイタリア諸港を中心に、航海術や造船術を発達させ、羅針盤が利用されるにともなってヨーロッパではポルトラノ型海図、或いは一般にポラトラノと略称される海図の出現をみたこと。(P.69.)
5.18世紀は近代科学や技術の発達がはじまった時代であり、探検も発見時代のような、単に商業的利潤の獲得や征服のみを目的として行われるのではなく、綿密な観測や調査のための科学的探求が基礎になって行われるようになったこと。(pp.153-154.)
6.フランスのルイ14世時代のコルベールの要望に応じて、地球の大きさの精密な測定方法を確立するとともに、フランスにおいてははじめて三角測定に基づく正確な地形図が完成したこと。また18世紀から19世紀にかけてはフランスにならって、ヨーロッパ諸国などにおいて地形図の作成が国家的事業として広くおこなわれるようになったこと。(p.168.)
その他、ポルトラノの限界を超えるものとして、メルカトル図法が登場したり(pp.161-162.) 、傾斜の差異を表現するために等高線法が登場した経緯(P.182.)、さらには、19世紀に主題図が作成されるようになり、地図の多方面な利用が進んだこと(PP.190-191)などもよく分かります。
本書が書かれたのは、1970年代なのですが、今後のテクノロジーの発展によって、地図の役割がますます大きくなっていくことを、著者自身が予想して終わっています。
地図の発達は、陸地の輪郭や起伏の状態がますます正確に緻密に描出されるだけではない。地形図の精度が加わると共に、地表に営まれる経済生活や社会生活も著しく複雑化してゆくので、それぞれの主題に応じた多種多様の主題図が作成されることになる。・・・(中略:斉藤)・・・これを電子計算機の利用によって処理すれば、地域間の比較が膨大な資料であても数量的に迅速に集計把握されるばかりでなく、将来の予測なども解析計算することができるので、地域開発計画や都市計画、防災計画などの諸施策の遂行にあたって重要な指針としての役割を果たすものと言える。
PP.217-218.
「地図」を通して、地理と世界史の接点を突き付けられたような感覚です。
地図の発展には征服の歴史が付きまとうので、その点は非常に複雑な気持ちを抱きましたが、(探検者の視点から見て)未踏の土地に足を踏み入れいていく人々の探究心のようなものも少し伝わってきました。
大変勉強になりました。