感想メモ

【洋書メモ】Michael Fultz.(2008). “As Is the Teacher So Is the School”: Future Directions in the Historiography of African American Teachers

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以下の本の中の第4章(pp.73-102)です。

William J. Reese and John L. Rury. (2008). Rethinking the History of American Education. Macmillan.


読後メモ(メモなので、誤読もあると思います)

1880-1920年ころに黒人教師が増え、その責任や期待も高まった。

自由民(Freeman)以外の黒人教師については、先行研究で無視されてきた。

1980年代の研究として
Jonesの研究、Morrisの研究、Butchartの研究が挙げられています。

黒人教師が増えた背後には、支援する財団や団体が増えたことや、自助努力を促す運動が起きたことも関係があった。

北部でも主に黒人コミュニティにおける教師は黒人だった。
北部の教師の22%は黒人教師だったとされる。

黒人教師は、コミュニティの文化や社会サービスの側面から見ても重要な役割を担っており、フォーマル・インフォーマルを越えた仕事があった。

1890-1920年頃に、黒人教師のなかでの女性比率が大きく上がる。
当時に黒人生徒自体が増えたこととも関係があった。
Chirhartの研究では、ジョージア州での過去の黒人・白人教師へのインタビュー調査が行われており、そこでも黒人教師がコミュニティの文化を担っていたことが分かる。(p.81.)
女性黒人教師が、地域や教会、学校をつなぐような、広範囲な役割をしていた。

黒人教員養成機関について。
いくつかの黒人大学(アトランタ、フィスク、ハワード)のほかに、師範学校や教育大学も作られる。
奴隷解放以後の黒人教員養成機関の実態については、データが限られており、もっと研究が進められるべき。
(例えば、1871年までに黒人教師を輩出した師範学校が61あったり、大学が11あったなど。)

アラバマ州立大学について
州大学の支援による黒人教員養成機関ができる。
いろいろな対立トラブルもあったが、モンゴメリに学校が立てられる。
1906年には1014人の生徒(男子375人、女子639人)(p.84.)
黒人教師の現職教員養成制度が、カレッジや大学などと連携して、実施されるようになる。
黒人教師の現職教師教育のためのサマースクールという伝統は、奴隷解放後、インフォーマルには存在してきた。それが20世紀前半になって、制度的にもサポートを受けられるようになり始めた。
(1930年頃に全米の黒人教師の約半数がサマースクールに参加し、南部の数州では特に高い。)
黒人教師が自分たちの専門性が低位に扱われることについて、行政と闘う歴史とも重なっていた。
黒人教師教育にとって、黒人公立カレッジが果たした役割は大きい。(p.92)

白人コミュニティからの黒人教師への差別もあった。

1980年代以前は、アフリカ系アメリカ人の隔離時代の公立学校を、リソースに乏しいネガティブなものとして描く傾向が強く、教師についても曖昧に書かれていた。
ただ、近年の研究では、教師もポジティブであったり、教師たちとコミュニティが協力するなどして「良い学校」が生まれていたことが明らかになっている。
公民権運動がおこるに至る教育史的蓄積も存在した。

もっと、多様な解釈や複雑性を含んだ研究がなされる必要がある(pp.93-94.))

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