読書メモ

【本】米田豊編著(2021)『「主体的に学習に取り組む態度」を育てる社会科授業作りと評価』明治図書.

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目次は以下の通りです。

はじめに
1 「主体的に学習に取り組む態度」を育てる社会科授業の理論
(1) 問題の所在と本書の構成
(2) 「関心・意欲・態度」から「主体的に学習に取り組む態度」へ
(3) 国立教育政策研究所が提案する「主体的に学習に取り組む態度」の評価方法の課題
(4)「主体的に学習に取り組む態度」の評価理論
(5) 実践編をお読みいただくために
2 「主体的に学習に取り組む態度」を育てる社会科授業&評価プラン
(1) 既習知識の活用により「主体的に学習に取り組む態度」を育てる社会科授業&評価プラン
(2) 対話により「主体的に学習に取り組む態度」を育てる社会科授業&評価プラン
(3) 「新たな問い」の発見により「主体的に学習に取り組む態度」を育てる社会科授業&評価プラン
おわりに

社会科教育の理論家・研究者でもあり、現場経験も豊富な米田豊先生が、西宮市社会科教育研究会の先生方と長年にわたり研究を共にし、その成果をまとめられた本です。
内容も興味深いのですが、本の細部に、研究会の熱気のようなものが感じられ、社会科教育研究に関わる立場として、大きな刺激を頂きました。

本書では、ともすると挙手の回数などで評価されてきた「関心意欲態度」の評価を乗り越えるものとして、今回の学習指導要領の「主体的に学習に取り組む態度」の評価に可能性を見出しています。
ただ同時に、その抽象度があることも指摘し、その具体を追究しているのが本の内容となっています。

ここには、「挙手の回数やノートの取り方など、性格や行動面の傾向が一時的に表出されたべ面をとらえる評価」を克服するために、「主体的に学習に取り組む態度」の評価対象が示された。これまで「関心・意欲・態度」の評価対象は示されず、それぞれの学校教育現場の教員に委ねられていた。今回、国研から「主体的に学習に取り組む態度」の評価対象が示されたことは大きな前進である。しかし、「粘り強い取組」を評価対象として、どのような評価方法で子どもを見取るかは、抽象的、方向的である。また、評価対象を「自らの学習を調整しようとする側面」としていることについても同様である。  

p.13.

本の骨格を成す理論的な考え方は二種類あるように思います。
一点目は、主体的に学習に取り組む態度を評価する前提としての捉え方です。以下、三点挙がっているのですが、特に(2)と(3)の兼ね合いが本書のこだわりのように思えます。

次の3点を大切にして、「主体的に学習に取り組む態度」を育てる社会科授業作りと評価の理論を提案する。
(1)子どもが「社会科授業が楽しい」と考えるのは、「主体的に学習に取り組む態度」の現れである。
(2)「主体的に学習に取り組む態度」は、子どもがもともともっているものではなく、教員が育てるものである。
(3)「主体的に学習に取り組む態度」は、認識内容(理解、知識)とともに育てるものである。

p.9.

二点目は、具体的に「主体的に取り組む態度」を評価する際の評価場面についていです。三種類挙げられています。本書を読むと、その具体が授業案や実践報告などを通じて、詳しく説明されています。

焦点化する「主体的に学習に取り組む態度」の評価場面(子どもの姿)は、次の三つである。それぞれの評価場面(子どもの姿)は、西宮市社会科教育研究会とともに、実践的に研究してきたものである。
(1)既習知識を活用し、学習課題への仮説を立てる場面
(2)対話により習得した内容をもとに、学習課題への仮説を立てる場面
(3)学習課題解決後に、「新たな問い」を立てる場面        

p.17.


印象に残った箇所を幾つかメモします。
ただいずれも、上記の(1)~(3)に対応したメモとなっておりまして、本書の論理構成の分かりやすさを再認識しています。

一点目
「主体的に学習に取り組む態度」の評価をする際に、既習知識を非常に重視している点です。
同時に思うのは、学習者の既習知識を教師が把握しておくことの重要性や、学習者の既習知識があることに期待する姿勢が印象的だと思いました。
まさに、カリキュラムマネジメントの視点というか、教師自身がカリキュラムレベルでの授業内容の連続性を意識している必要性が高まってくるのかなと思います。
同時に、中学歴史の授業では、小学校の歴史の既習内容を活用する事例も紹介されており、興味深く思いました。

かつて筆者は教材研究をする中で、「これは面白い学習問題になる」と思うあまり、子どもの思考や学習過程を考慮しないまま授業に用いて失敗した経験がある。子どもが学習問題に対して予想や仮説を設定すること、つまり、見通しをもって追究していくためには、前の単元、本単元の中での学習経験がカギとなる。だからこそ、「主体的に学習に取り組む態度」を育成していくためには、子どもたちの学習経験を生かすこと、学びをつなぐことを意識して、カリキュラム・マネジメントしていくことが必要となる。     

p.47.

中学校と小学校で「内容」が類似していることが分かる。したがって、小学校の「内容」を「既習内容」として、本単元で活用することができる。           

p.121.

本書では、既習だから全て学習者が記憶していると捉えているわけではなく、ノートを見返すような作業を通して、既習知識を再構成していくような場面を意識的にとっています。

二点目
学習者が「問い」を作れることを、「主体的に学習に取り組む態度」の評価にとって重要な要素として捉えている点です。
とりわけ、単元をつらぬく問いを意識しつつ、単元末で単元をつらぬく問いの答えだけでなく、問いを作らせて終わる、という方法が面白いなと思いました。
ともすると、問いの答えを導きだせることに注意が向きがちですが、本書では「問いを作れること」自体に重きも置かれていたのが印象的です。
この点は、以前に読んだ『たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」』の質問づくりにも似た発想を感じました。
(細かく見ると、考え方は違うとは思うのですが、「学習者自身が問いを立てる」ことへの信頼があるあたり、少し近いものを感じました。)

子どもが、単元をつらぬく学習課題の解を記入し終えた段階で、大島の論を援用し、「振り返り発問」を行う。「単元の学習をとおして、新たにどのような問いが生まれたか」 と発問をすることで、単元の学習を終えた段階で新たに分からないことを問いの形で記述させることができる。また、「なぜ、そのような落ちを立てたのか」と理由を記述させることによって、単元で学習した内容とどのように関わっているのかを見取ることができる。             

p.27.

もちろん、問いを立てられただけで良いというわけではなく、その問いを検証するプロセスも本書は重視しています。とはいえ、「問いに答えきること」よりも知識を活用して仮説を立て「問いを立てられること」に軸足を置いているのが印象的でした。

単元の終末に子どもが立てた「新たな問い」は、子どもにとって「問いの立てっぱなし」にならないようにする必要がある。検証する機会のない「新たな問い」を立てることは、その後の子どもの学習意欲を低下させる。「新たな問い」を立てることは、認識内容とともに「主体的に学習に取り組む態度」を育てるための大切な手立てである。しかし、「問いの立てっぱなし」では、「主体的に学習に取り組む態度」は育たない。  

p.32.

三点目
対話を通して生徒が変容することを「主体的に学習に取り組む態度」の評価にとって重要な要素として捉えている点です。
対話という言葉は様々な場で多義的に使われがちですが、本書では明確な定義のもとで、それを具現する授業場面が設定されいた気がします。

対話を行うためには、自らの考えを他者に表現することが求められる。当然のことながらその前提として、自らの考えを持つことが必要となる。当て推量ではなく、既習知識をもとに自分の考えをもてるようにするためにも、教員がこれまでの学習とこれから行う学習の関連を明らかにし、「おそらく子どもは、Aの知識を活用してBという仮説をつくるであろう」という仮説を持つ必要がある。   

p.99.

対話とは、他者との意見のやり取りをとおして、自分の考えを更新、深化(考えが「変わる」「増える」「深まる」「決まる」)する活動ととらえることができる。・・・(中略:斉藤)・・・対話とは、講師や友達といった「他者との対話」だけを意味するものではない。友達の発言内容や資料から情報を自分の中で解釈し、考えを更新、深化させる「自己内対話」も含まれる。  

p.21.

対話の振り返りで、自分の最終的な予想を書かせる。その中で、他者の考えを受けて自分の考えがどのように「変わった」(または「増えた」「深まった」「決まった」)のかを書かせることで、対話の成果を評価することができる。 

p.91.

「対話」をめぐる考え方は、様々にあるように思いますし、本書が依拠している発想もその一つではあると思います。
ただ、「対話とは、他者との意見のやり取りをとおして、自分の考えを更新、深化(考えが「変わる」「増える」「深まる」「決まる」)する活動」という定義は、授業を設計する上で明確な視点になるように思いました。

四点目
これは本書を読んで特に印象に残った箇所だったのですが、学習者の生活経験の位置づけについてです。
本書で出てくる実践は様々な実践者によって書かれていますので、実践によって、細かい考え方は異なります(読んでいればそれは実感できます)。
とりわけ、この授業例の実践者の方は(少なくともこの実践提案、範囲に限れば)、生活経験で得た知識ではなく、既習内容をもとに知識を活用させ、「主体的に学習に取り組む態度」を評価することにこだわっています。
この文章を読んだときに、生活経験と社会科授業の関係について、改めて自分自身で考えてみたいなあと感じました。
生活経験を活用した社会科授業も多くあると思いますが、その懸念に着目されているのだと思います。ご指摘の意図も分かるので、考えさせられます。

本事例で「主体的に学習に取り組む態度」の評価対象は、【予想の理由】の記述内容である。予想の理由は、今までの学習で習得した知識が活用されているかどうかで、「主体的に学習に取り組む態度」を評価する。予想の理由として記述される内容には次の三点があると考えられる。
①既習知識(今までに学習したこと)
②生活経験で得た知識
③なんとなく(根拠とはなりえない感覚的なもの)
①の内容を記述した予想は、既習知識を根拠として立てた予想であり、仮説であると言える。しかし、②③の内容を記述した予想は、仮説とは言えない。②は、学習を通して習得した知識ではないからである。また、その内容が事実なのかを授業で判断することができない。さらに、生活経験は、子どもの家庭環境に大きく左右されえる。家庭環境の違いで子どもを評価することは妥当ではない。そして、③の当て推量のため根拠にはならない。             

p.61.

明確な定義と授業を形作る明確な授業の視点が提示されており、実践される授業例と理論の関係も明瞭だったように思います。
米田先生の理論に惹かれる先生方が多い理由はよく分かるなあというのが率直な感想です。
研究会の熱気や、理論家と実践者の信頼関係のようなものも行間から感じられました。

勉強になりました。

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