読書メモ

【本】白井克尚(2020)『戦後日本の郷土教育実践に関する歴史的研究-生活綴方とフィールド・ワークの結びつき―』唯学書房.

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目次は以下の通りです。

序章 本研究の目的と方法
第1章 「新しい郷土教育」実践の創造―1950年代前半における「理論」と「実践」の結びつき
第2章 郷土史中心の「新しい郷土教育」実践の創造
第3章 フィールド・ワークを活用した「新しい郷土教育」実践の創造
第4章 考古学研究と結びついた「新しい郷土教育」実践の創造
第5章 地域運動と結びついた「新しい郷土教育」実践の創造
第6章 地理学習としての「新しい郷土教育」実践の創造
第7章 本研究の成果―「新しい郷土教育」実践の創造過程における特質

本書では、1950年代前半の郷土教育実践「新しい郷土教育」について、考察が行われています。
その中でも、とりわけ、郷土教育全国連絡協議会(郷土全協)に関わる実践家や理論家の姿を描いています。

そうした民間教育研究団体の中でも、郷土教育全国連絡協議会(のちに「連絡」の二文字が取れる。以後、郷土全協)は、むさしの児童文化研究会が母体となって、953年2月に結成された民間教育研究団体である。郷土全協の当時における理論的指導者であった桑原正雄は、「郷土―自分が現実に生活している地域を正しくとらえるには、人様の借り物や感情ではどうにもなるものではなりません。問題を発見しそれを解決するための創意と工夫が、教育の中で生かされることが大切なのです」という願いから、郷土全協を結成した。

p.2.

このような考え方にもとづいて1950年代において郷土全協の立場から取り組まれた郷土教育実践を、「新しい郷土教育」実践と呼ぶことができる。

p.2.

郷土教育とは何なのか、と考えるうえで一番印象的だったのは、「郷土」という言葉の捉え方についてです。
私自身、米国のコミュニティ・シヴィックスの発想には馴染みがあるのですが、どうしても同化主義的というか、社会奉仕的になりがちな側面があり(もちろん実践の多様性や多義性はあります)、その点から見ても、「新しい郷土教育」実践にとっての郷土の捉え方が印象に残ります。批判的な意識が強く感じられるからです。

ここで桑原がいう「新しい郷土」とは、「郷土愛」や「愛郷心」の拠り所としてではなく、過去にその土地に生きた先祖の「生活苦闘史」が現れている「フィールド」(野外、場所など)という意味合いをもつものであった。そして、「郷土の歴史を通じて、わたしたちは、われわれの先祖の苦闘をしのぶとともに、明日への課題をしっかりとつかみたいのだ」と主張し、それを「新しい郷土研究」とよんだのである。その「新しい郷土研究」では、過去に「フィールド」に生きた先祖たちによる自然地理的条件(地形、気候など)の克服の歴史を明らかにすることがめざされたのである。

p.27.

その他、印象に残った点をいくつかメモします。

一点目
研究者と教師の相互関係が非常に具体的な形で説明されていることです。とりわけ、郷土研究の手法を授業化していく教師の姿や、郷土研究に関わるようになる生徒たちの姿などから、それを感じます。

むさしの児童文化研究会による「フィールド学習」は、研究者から学校現場の教師へ、「新しい郷土研究」の研究手法が普及される機会となっていた。そしてそれは、教師たちにとって社会科の単元開発や教材開発のための研究手法として用いられ、郷土史研究の研究的実践として取り組まれていたのである。            

pp.33-34.

一方で、桑原氏が相川氏から多くの刺激を受けているように、実践家から理論家が学ぶという相互関係が構築されているようにも思いました。

桑原は、相川から送られてくる児童の作文を見て、「これだッ」と思い、相川実践の中の教育方法について、「作文教育と結びついた郷土教育は、もはや詰込み型の旧式教育ではない」として、相川実践の中に「生活綴方と歴史教育の結合」といった教育方法に、「新しい郷土教育」実践の根拠を見出すのである。そして、この相川実践について、「このすばらしい成果をみんなものにしなければならない」と決心し、むさしの児童文化研究会を、「郷土教育全国連絡協議会」と発展的に改称し、第1回郷土教育研究大会の開催を決定する。     

p.37.


二点目
本書の問題意識となる戦後教育史の再検討の必要性についてです。
問題意識の一部は臼井嘉一氏らの研究から影響を受けていると思いますが、「『反権力』の立場からの教育実践」に終始しない、様々な「社会的歴史的課題」を切り結んでいく考え方にはとても共感しました。同時に、そういった問題意識から、民間教育研究団体の研究が捉え直されていることも学ぶことができました。

臼井嘉一は、戦後日本の民間教育団体による教育実践を捉える視座として、「『戦後初期新教育』をどう位置付け、それとその後の実践しとどうつなげるかも重要な課題である」といい、「私たちの共同研究では、教育実践は、『戦後初期新教育』批判を踏まえて展開されてきた民間教育研究運動としての教育実践を中心としているが、それゆえにこの『教育実践』というものを単に『反権力』の立場からの教育実践と位置付けることになれば一面的であり、これらの教育実践がそれぞれの時期の社会的歴史的課題とどう切り結びどのような教材構成や授業展開を進めつつ、子どもや父母地域住民とどのような学校をつくりあげているかという観点から位置づけ直すことも重要な課題である」ことについて論じている。同様の問題意識から、戦後における民間教育研究団体の教育実践を捉え直す研究も進められてきている。      

p.11.

三点目
タイトルの副題にもありますが、フィールドワークを行うことが、郷土教育実践の中核に据えられていることです。さらに言うと、フィールド学習を通して教師自身が「具体的にものを見るということ」を学び、その知見を活かして授業を実践していくプロセスが印象に残ります。以前に読んだ公害教育のスタディツアーにも似たような印象を持ちしました。

1950年代の歴史的社会状況下において、郷土全協(前身のむさしの児童研究会の時代も含む)は、現場の教師たちのための「校外学習の研究会」である「フィールド学習」を開催し、「新しい郷土研究の実践に取り組んでいたことも知られる。その「フィールド学習」では、当時の意識的な教師たちが、「フィールド学習」に参加する中で、「具体的にものを見るということ」を学び、そのような経験を生かして「新しい郷土教育」実践に取り組んでいたのである。すなわち、郷土全協は、「フィールド学習」を通じて、研究者と現場の教師とを結びつけ、その協力・共同のあり方を典型的に示していた民間教育研究団体でもあったと言える。   

p.3.

また、フィールドワークにも二通りの手法が見られたそうで、とりわけ後者のクラブ活動としての郷土教育に関しては、特別教育活動を重視した1951年度公示の『中学校学習指導要領』の影響を強く感じます。紹介されている杉崎氏の「横須賀中学校において郷土クラブ」の実践などは、まさに特別教育活動の魅力を強く感じます。    

当時のフィールド・ワークには、次の二つの型が見られたという。一つには、戦前の郷土教育を批判的に継承したもので、小学校における相川日出雄の実践に見られるように、社会科という教科指導の中に位置づけたものであった。もう一つは、中学・高校に多いもので、課外活動としてのクラブ活動として行われたものであった。        

p.137.

四点目
紹介される実践の多くが、地域での課題と向き合いながら開発・実践されていることです。ここでいう問題は、農村地域に留まらず宅地開発の進んだ地域も同様に挙げられます。古代史や考古学研究が現代の「郷土の現実的問題の解決」と繋がっていくプロセスは、非常に印象に残りました。

相川は、地域の貧困問題への着目を通して、社会科が郷土における現実的な問題と取り組んでいくべきことを主張する。            

p.64 .

(福田の:斉藤)社会科授業における教育内容として、東京都東玉川町の急激な宅地開発といった郷土の現代的な課題を取り上げていることである。 

p.113. 

では、なぜそのような横須賀の古代集落の歴史的変遷が、杉崎や、郷土クラブの関心事となったのか。それは、横須賀町における土地利用の歴史の把握が、当時の歴史的課題の探究と結びついていたためだと考えられる。     

pp.137-138.

五点目
戦後の郷土教育運動の高まりの中で、生活綴方が重視されていくのですが、生綴方のアプローチが、児童生徒が書く「生活綴方」と、教師が書く「実践記録」という二通りの機能として見られた点です。いずれも共通する思想を持ちつつ、教師も子どもも共に自らの考えを文字化・言語化・記録化していくことが重視されていたのがよく分かります。あと、実践の考察の各所で児童生徒が書いた詳しい生活綴方の文章が記載されていて、それがまた読みごたえがありました。

1950年代前半からの戦後の郷土教育運動の展開の中では、「歴史教育と生活綴方の結合」や「郷土教育的方法」といった教育方法としての「理論」の追究がなされ、「新しい郷土教育」実践の創造が目指された。また、郷土全協に参加した小・中学校の教師たちには、学習者が歴史を書くという「生活綴方」の意義と、教師が「実践記録」を書くことによる自己教育の価値が共有され、数多くの実践記録がうみだされていたと言えるだろう。            

pp.45-46.

六点目
新しい郷土教育実践が、戦後初期の経験主義的な社会科教育を批判的に捉えたうえで再構築・立論されていた点です。その批判の軸は「科学性」や「批判性」にあるようにも思いますが、戦後初期になされたアメリカの影響を強く受けた実践に対する批判的な検討がなされていたことが分かります。

1950年代の中学校教師による「新しい郷土教育」実践の背景には、彼らによる郷土研究の経験が存在していた。そして、中学校教師たちは、郷土全協の活動に関わる中で、郷土研究を「科学的」に高めようとしたことが明らかになった。そして、それが、戦後初期新教育の経験主義に対する批判へとつながっていったのである。             

pp.225-226.

第一に、郷土全協の教師たちは、「新しい郷土教育」の実践を通して、「郷土」における現実的な課題を問いかけ、戦後初期新教育の経験主義教育理論に対する批判を高めていたことである。・・・(中略:斉藤)・・・桑原は、「新しい郷土研究」を通して、教師たちが、先祖たちが「改造」し、「発展」させてきた「郷土」の歴史を学ぶ必要性について主張していたのである。桑原による「新しい郷土」認識について、須永(2013)は、「『郷土』の中にこそ、地域社会の深刻な利害対立、賃労働化・都市化といった地域社会の変容といった共同体的な志向とは対極にある『資本』の運動を見出そうとしていた」と論じている。したがって、郷土全協の教師たちは、資本制社会における「郷土」のあり方を問うとする実践として、「新しい郷土研究」の実践に取り組んでいたことが示されている。             

pp.226-227.

以上、戦後初期社会科の持つ論争性や、新しい社会科教育を模索する研究者と実践家の協働や相互作用、民間教育研究団体の位置づけなどを理解するうえで、とても勉強になる本でした。

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