読書メモ

【本】澤井余志郎(2013)『ガリ切りの記-生活記録運動と四日市公害-』影書房.

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目次は以下の通り

1 生活記録運動のころ
2 くさい魚とぜんそく
3 四日市ぜんそく公害訴訟
4 民兵よ、いでよ
5 反公害運動は、住民が主体で
6 一九七二年・四日市公害の「戦後」
7 このごろの革新ってどうなっとんのや

澤井余志郎さんの人生を描きながら、前半では女工工員との生活記録運動について、後半では四日市公害をめぐる市民運動や活動について書かれています。

著者である澤井さんの目線から、経験に基づいて書かれているので、エピソードも豊かで、非常に読みやすいです。

印象に残ったことを数点メモ

一点目

職場での生活記録運動をするサークル活動が始まる様子がリアリティあふれる形で描かれていることです。

社会教育の文脈で、そして自主的なサークルが生まれる流れの中で、綴り方が求められた様子が良く分かります。

「私たちも、山びこ学校のような綴り方を書こう」となった。何を書くか。工場へ働きているが、いつも村の家のことが記にかかっている、だから自分の家のことを書こう、となた。だが、簡単にはいかない。貧乏は恥ずかしいこと、人前にさらけ出すことではないと、深く思ってきた。山びこ学校の中学生の書いた、ありのままを綴った生活記録を読んで感心した自分との間で悩みつつ家の貧乏綴り方を書いたが、読み返してみて、それが本当のことだけに自分以外には見せられないと強く思っていた。「書いた綴り方をもって集まろう」となり、30人ほどが集まった。誰も出そうとしない。私は、横にいた尾崎(現・外立)八重子の綴り方を取り上げて読んだら、八重子は泣き出した。ほかの人たちはホッとした顔をしていた。貧乏なのは私の家だけではなかった・・・・と安心したかのようで、次々と自分の綴り方を出した。

p.22.

二点目

公害反対の運動をしようとする澤井さんに対して、患者の当事者の方々から、「本当のことを知ること」の重要性が指摘されていた点です。

中村さんは、ぜんそくの苦しみを知らない私たちにがまんできないようだった。私に「公害反対って簡単に言うな。公害反対を言うのやったら、ぜんそく患者がどれほど苦しんどるのか、本当のことを知ってからにせい」と強く言われた。私は、生活記録運動で「概念砕き」だとか「ありのままを大事に」と言ってきたのに、公害の被害者の実態も知らないで、現象面だけで公害反対だといっている自分を恥じた。       

p.60 .

108頁で紹介されていた石牟礼道子さんの「四日市公害の告発運動に参加せよ」の文章も迫力に満ちています。「我々は、まず、学ぶことから始めなければならない。特に、公害の被害とはどんなものであるか血肉化させねばならない。」(p.108.)
自分自身のこれまでの生き方を振り返さざるを得ない気がします。

三点目

反対運動に関わる中で、住民や関係者の主体性を尊重し、その意識を生み出すための学習会を行っていた点です。この点も社会教育としての学習会の重要性を強く感じました。

外見上はデモや運動のように見えても、それが動員では意味がない。動員と主体的な参加の違いを実感できる場面だったように感じました。同時に労働組合の活動の形骸化した側面も見ることができます。

労働組合の運動は、執行部からの動員によるもの。動員方式とは、行事を消化することであり、組合員各自の意志・想像力といったものは必要ない。公害訴訟支援集会を一割動員(千人規模)で行うから参加してほしいと要請すれば、7割、8割なりの組合員が集まってくる。テレビや新聞の模様が報じられ、「四日市は公害反対で燃えている」となるわけだが、一時間の集会やデモ行進が終われば、はい、それまでよと、行事はめでたく終了。動員された組合員は、「こないだの安保反対集会のときは誰だれだったから、今度の公害反対は誰と誰」と、執行部からの指示でやってくる。こうしたなかからは、自分の意志で公害反対の運動に参加しようという人はまず出てこない。・・・四日市公害の発生の地・磯津で、公害訴訟原告の住む磯津の置かれている実情を知り、磯津の人々と知り合い、そこから四日市公害反対運動を共に考える、そういった運動をつくっていきたい、労組の指示・命令による動員で行事を消化するという運動ではなく、自分の意志と創意工夫で反公害に動く人たち=“民兵”が生まれてほしい、と私は願った。・・・私は、現地・磯津で「公害市民学校」をもつことを計画した。

pp.102-103.

この話は、著者の澤井氏自身が言っていた「公害裁判勝利・公害源撤去のためには、べんきょうしなければなりませねん。みんながほんとうに団結していかなければなりません。だからといって、号令されてやるとか、しかたなしにやるのではホンモノにはなりませねん。」(p.129.)の話と直結するようなと読んでいて感じました。
また、「市民兵の会」という公害反対運動の裏で活躍する組織が出てくるのですが、この会の機動力というかバイタリティには驚かされもしました。

四点目

公害反対運動の背後で、行政や企業を含めた関係諸団体の駆け引きや意図が交錯したり、時には味方陣営が切り崩されていくような場面を描いている点です。

背後でお金が動き、突然、住民の声を企業が聞くようになったり、住民の意見を聞かなくなったり、住民団体の間での軋轢が生じたり、様々な人間模様が展開されています。

公害反対運動の高まりによって勝訴判決を獲得したのだと思い込んでいた支援団体が、勝訴の余波に浸っているとき、「反動派」は、表立ってうごめき、勝訴判決を一つ一つ削り取っていった。一次訴訟・二次訴訟の原告、いくつもの患者会、住民、自治会長、正統、労組、支援団体、コンビナートの企業、行政、それぞれがこの判決から衝撃を受け、判決後、さまざまな思惑を持って動いた。訴訟と交渉、保障と発生源対策、排煙の規制とプラントの新設・壮絶、いくつもの思惑が同時進行していった。       

p.154.

四点目

いわゆる公害訴訟の時期を去った後に、公害のイメージを取り去ろうとする行政と、当時の関係者が四日市から(心理的にも)離れていくことを悲しむ患者関係者の方々の様子が描かれている点です。

著者自身は「公害資料館があればと思う」と言っており、実際にも関連する資料館があるようなので、いつか行ってみたいなと。同時に本書でも触れられていた通り、歴史をどのように継承したり、現代の人々の学習につなげていくかという点も大きな論点なのだろうと思いました。

大変勉強になりました。

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