感想メモ

萩原真美(2021)『占領下沖縄の学校教育―沖縄の社会科成立過程にみる教育制度・教科書・教育課程―』六花出版.

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目次は以下の通りです。

序章
第Ⅰ部 占領下沖縄における社会科成立の背景:六・三・三制導入に至る経緯
第1章 占領下沖縄における対沖縄占領教育政策
第2章 占領下沖縄における教育の再開
第3章 占領下沖縄初の教育制度の制定
第4章 占領初期沖縄群島における学制変更

第Ⅱ部 占領下沖縄における社会科前史: 人文科公民、 歴史、地理
第5章 人文科公民、歴史、地理の設置
第6章 人文科公民
第7章 人文科歴史
第8章 人文科地理

第Ⅲ部 占領下沖縄における社会科の成立
第9章 占領下沖縄における社会科の誕生
終章  占領下沖縄における社会科成立の特徴とその意味

占領初期沖縄の学校教育および社会系科目の詳細、社会科の成立などについて詳しく論じた本です。

本書の目的は、序章でとても明快に示されています。
「占領下の沖縄において、戦後教育改革の目玉の一つであった社会科は、その設置がまったく想定されていなかった」こと、そのうえで社会科が「どのような過程を経ていかなる性格の教科として成立したのか。」を追っていくこと、ここに本書の主題があるようです。

沖縄では、アメリカの直接統治下にもかかわらず、当初社会科を導入することがまったく想定されていなかった。その沖縄では、46年4月8・4制が試行され、初等学校及び高等学校では人文科の科目として公民、歴史、地理が設置された。その8・4制はわずか2年で廃止され、48年4月6・3・3制への学制改革が行われ、それに伴って社会科が設置されたのである。

pp.3-4.

占領下の沖縄において、戦後教育改革の目玉の一つであった社会科は、その設置がまったく想定されていなかったにもかかわらず、どのような過程を経ていかなる性格の教科として成立したのか。本書は、占領下の沖縄において社会科が成立したという事象に着目し、その設置に至る過程における諸制度の変更、社会科成立以前に設置された人文科公民、歴史、地理の教育内容の検討を含め、占領初期沖縄にとって最大の課題であった「復興」を、学校教育によっていかに成し遂げようとしたのかを明らかにしていきたい。

pp.6-7.

これらの背景には、沖縄の占領が本土よりも先に開始されたと同時に、沖縄では占領後すぐに学校教育の再開が検討されていったこともあるようです。
とりわけ著書の前半の方では、そういった沖縄の占領初期の学校教育を理解する上での基礎情報(だが詳しい情報)が多く示されており、読者の頭を整理する道しるべとなってくれます。
たとえば、占領初期の沖縄で、6週間での教員養成が求められた背景(p.123.)、高等学校に実業教育が重要視された理由(p.168.)、驚異的な速さで特に初等学校が再開されていくプロセス(p.187-188)など。

他にも、占領初期沖縄で8・4制が導入された経緯を、本書の分析を踏まえて結論付けているところも、結論に至る資料分析が読みごたえがありました。

沖縄における戦後初の教育制度である8・4制は、たんにアメリカの8・4制を移植したものでもなければ、戦前の日本の教育制度に全面的に依拠したものともいえない。米軍政府と沖縄諮詢会側が議論を重ねていく中で両者の考えを融合させ、当時の実情を考えみて現実的に制定していったと言える。

p.140.

それらを踏まえつつ、特に印象に残った二点をメモ。

一点目は、社会科や戦後公民教育構想を含めた(本土の)戦後教育改革に対する沖縄教育関係者の理解に限界があったという点と、それと併せて、占領初期沖縄の教育が、戦前の教育から引き継いだ内容が多いという点です。

この理解の限界については、本書の各所で指摘されており、印象に残ります。

人文科公民が設置されたのは、本土のように公民教育構想が提唱されたわけではなく、本土で修身科を改め公民科を導入するという情報を得た結果、公民科として導入したに過ぎない。その内容も、戦前の修身科および公民科の教育内容そのものであり、社会科へ転換できるものでは決してなかった。科目名こそ「公民」だが、本土の戦後教育改革において検討された公民科とは相いれないものである。この事実は、沖縄の戦後新教育が戦前の教育を刷新できていないことを意味するとともに、沖縄が志向した「本土並み」の限界を物語っているともいえる。

p.303.

教生が「うるまじま」自体を写本したという事実を鑑みると、これらの教材自体や国吉の歴史教育に対する教材観に基づく授業を行った教師が一定数おり、戦前の歴史観が刷新されないままに、戦後の歴史教育が実施された側面があると言える。

p.372.

紙幅の制約があったにせよ、社会科を扱ううえで本質的かつ重要な部分が削除されていることから、『社会科について』を作成した沖縄民政府文教部が、本土の戦後教育改革の目玉とされた社会科という新教科を十分に理解していなかった実情がうかがえる。

p.447.

本書による分析の結果、授業ノートや文書を見ても、本土の社会科や戦後教育改革の理解が十分でなかったという点は、本書の結論にも直結してくる話です。
ただ、同時に、これだけ緻密に分析するからこそ、「理解に限界があった」ということが明らかになっているわけで、そのことが重要なのだろうと感じました。話が逸れるかもしれませんが、仮に沖縄以外であっても、理解に限界があったかどうかが明らかになっていない地域や学校はたくさんあるのではないかと。
沖縄関係者がいつまでにどの書類を入手し読んでいたのか。どのように本土の書類を引用・参照し、沖縄版資料を作成したのか。ここら辺の内容が緻密に論じられているからこその指摘という気もして、考えさせられました。

二点目は、沖縄独自の教育を行うことについての、沖縄の教育関係者の複雑な思いについてです。

本書では、一方では、教師が沖縄独自の歴史を教えるための準備が整っていなくて試行錯誤したことが描かれつつ、他方では沖縄独自の教育を行うことが、「沖縄人としての自己」を規定していく重要なプロセスであったとも捉えています。この論点が「本土並みの教育をさせたい」という別の想いと交錯する場面が見受けられるように思い、考えさせられました。

教育課程上、人文科歴史では沖縄独自の歴史を扱うことが定められたが、当時の教師たちはその取扱いに困惑したと推察される。その要因として、戦前の初等教育では国定教科書の仕様が義務付けられており、国定教科書には沖縄の歴史が通史として扱われておらず、琉球王国の存在を否定する記述であったことが考えられる。

pp.311-312.

仲宗根の回想にもあるように、戦前の小学校・国立学校、中学校、高等女学校の国史の教科書や教授要目には沖縄の歴史は扱われておらず、沖縄が固有の歴史を歩んできたことは教えられていなかった。・・・(中略:斉藤)・・・このことは自己である沖縄が含まれなかった歴史教育から、自らを主体的に扱うことが可能な歴史教育への変容を意味する。仲宗根は、編修課長という立場からもその喜びはひとしおであったと推察される。

p.498.

その新たな教育には、戦前の本土を中心とした「他者」としての教育とは対照的な、「自己」である沖縄人としての教育という側面があった。占領下の沖縄人は、正規の教育課程において沖縄の歴史に代表される「沖縄の道」が扱えること自体に、沖縄復興への希望の光をみていたいのかもしれない。

p.498.

占領初期沖縄の教育方針の一つとして「沖縄の道」として、沖縄の独自性を尊重する教育が進んだことの意味について、指摘されています。

8・4制から6・3・3制への移行が「本土との格差を少しでも解消したい」(p.219.)という本音があったと考えるとき、沖縄の方々から見た、沖縄と本土の関係性について、とても複雑な思いがあったのだと推察されます。1952年以降の変化(たとえば、p.481.)とも重ねて考えるとき、尚更そのように思われました。

その他、人文科歴史、人文科地理、人文科公民の三科目で、「沖縄の道」の反映のされ方が異なっているという点も印象的でした。

さて、私の理解不足が原因で本書の内容を正確に理解できているか、心もとないのですが、印象に残ったのは以上の点でした。

そのうえで思うのは、「社会科って何なんだろうなあ」という点です
本書の結論から言えば、戦後花形教科だった(と言われる)社会科が、沖縄ではそこまで重視されておらず、かつ誤解されていた、ということになるのかもしれません。その資料も緻密に示されており、よく分かります。

ただ、逆に社会科として外せないものって、一体何なのだろうなあと。
一般的に言えば、民主主義の理念や、経験主義的な教育理念、総合社会科としての理念など色々あるのかもしれないのですが、
ただ一方で、限られたリソースの中で、沖縄の独自性を反映した地理や歴史の教育を考え、その資料を作成・共有し、授業化していくプロセスというは、少なくとも市民性教育としては、とても意味があるというか、戦前の沖縄と比しても意味がある営みだったように思うのです。そういう市民性教育としての側面を私は積極的に評価したいなと思う反面、その後に「本土並み」を追求していく沖縄教育の話を聞くと、やはり、「社会科って何なんだろうなあ」と。

【追記】
この前後の段落の私(斉藤)の文章に関しては、もっと慎重に書く必要があったように後日に感じました。具体的には、戦前の教育を受け継いでいることの是非だけでなく、占領初期の沖縄の人々にどれだけの「自由」や「権利」が保証されていたのかという点が複雑に絡み合う話だからです。沖縄教育の民主化というのが何を意味するのかについても、慎重に判断する必要があると感じるに至っています

やや遠回りな表現になってしまいますが、本土で、戦後初期社会科の理念が、どれくらい「実践されていなかったのか」について、私自身が勉強してみる必要があるのだとも思われます。うまくいった事例ではなく、実践されていなかった事例のなかにも、それぞれの実践の文脈に根差す関係者の複雑な思いがあるのだろうと、本書を読んで強く思いました。

授業実践者が、理論が良いと思うから、それをそのまま受け入れるわけではなく、その地域の現実的なリソースや、背負ってきた歴史のなかで、出来ることから試行錯誤して選択をしていく。その連続なのだろうと思います。

そのことを色濃く感じさせてくれるのが本書でした。

完全な余談ですが、米国社会科成立史では、黒人教育史の文脈から見て、1916年前後に起こった「いわゆる社会科成立」が批判されるときがあります。白人中心主義的で、当時の社会問題やマイノリティの立場を可視化できていないと。そこで、黒人の歴史を中心に据えたオルタナティブなカリキュラムを、黒人教育関係者たちがつくっていく。
それは、総合社会科的な意味での社会科像とは結構異なってくるのですが、ではあれは果たして社会科じゃないかというと、(市民性教育という意味での)社会科でもあったような気がするんです。


もちろん、上記の話は、本書の内容とは全く違う話になるのですが、そんな話も私の脳裏にかすめつつ、「戦後教育改革の花形教科の社会科」という像が持つ含意とは何なんだろうと考えさせられました。

本書でいただいた問題意識を基にしつつ、これからも少しずつ勉強していきたいと思います。

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