読書メモ

【本】石井英真(2020)『授業づくりの深め方:「よい授業」をデザインするための5つのツボ』ミネルヴァ書房.

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新学期の授業準備の一環です。刊行から一年遅れで通読しました。

教育学をベースにしながら、授業づくりを指導する際の教科書に最適な感じがします。
(私の不勉強さゆえ)授業中に私の好みや信念で語っていたのだろうかと不安だった点を、様々な引き出しから説得的に語ってくれており、大変参考になります。
読んでいて、「そうそう!」と共感してしまう場面が本当に多い。
同時に、特定の学問領域に特化したような専門用語が少なく、不自然さがないように思います。

目次は以下の通り

第1部 授業の本質とロマンの追求
第1章 授業づくりのフレームと5つのツボ
第2章 未来社会をよりよく生きるための新しい学力と学びの形

第2部 よい授業をデザインする5つのツボ
第3章 授業づくりのツボ1 「目的・目標(Goal)」を明確化する
第4章 授業づくりのツボ2 「教材・学習課題(Task)」をデザインする
第5章 授業づくりのツボ3 「学習の流れと場の構造(Structure)」を組織化する
第6章 授業づくりのツボ4 「技とテクノロジー(Art&Technology)」で巧みに働きかけ
第7章 授業づくりのツボ5 「評価(Assessment)」を指導や学習に生かす)

第3部 5つのツボを生かして授業づくりを深める
第8章 「教科する」授業を創る手立て
第9章 授業の構想力を磨く校内研修のデザイン
巻末特別付録・ブックガイド

いくつか面白かったことをメモ。

本書を読んで印象的だったのは、日本の授業研究の歴史、「伝統的に良いと言われる授業」など、歴史的な視点から論じられている点です。それゆえ、近年に流行っている授業方法も、相対化され、その懸念も様々に示されています。

同時に従来の良いと言われた授業が現代ではうまく機能しなくなりつつある原因などにも言及しており、授業づくりを取り巻く環境の変化がとてもよくわかります。

東井の授業では、子どもの「つまづき」(間違った答えや正解からずれた意見)を否定的に扱うのではなく、それをきっかけに「練り上げ」が展開されていることがわかるでしょう。それはつまずいている子にとってのみ意味があるのではなく、わかったと思っている子どもたちにとっても意味があります。わかったと思っている子ども達も、自分の考えの理由を突っ込まれると上手く答えられないということはよくあります。自分とは異なる考えを持っている子に、根拠を挙げながら自分の考えを説明したり、わからないといっている子に教えたりすることで、より深くわかるようになるのです。何より、分かっている状態がゆさぶられ、証拠見つけを始めようとする瞬間、教室にはドラマのヤマ場のような内的集中と良い意味での張りつめた空気が、子どもたちの中には何かが起こりそうなわくわく感が生まれたことでしょう。
 このような創造的な一斉授業(練り上げ型授業)に対しては、古きよき実践ではあるが、現在の子どもや教室の状況から見て難しさを感じたり、教師主導の授業の進め方に違和感を持ったりする人もいるでしょう。

p.22.

このように、「弱いつながり」をベースにしたコミュニティ感覚を子どもたちは持っています。こうした状況だからこそ、むしろ学校において、強いつながりや議論の知的な方さや言葉の重さやより結合された確固たる自己を意図的に実現することは重要ですが、実践の出発点において、上記のような子どもたちの志向性(課題でもあり強みでもある)を活かすことも必要です。教師のアート(直接的な指導性)から、学習のシステムやしかけのデザイン(間接的な指導性)へ、そして、クラス全体での練り上げから、グループ単位でなされる創発的なコミュニケーションへと、授業づくりの力点を相対的にシフトしていく必要性が高まっており、知識構築学習など、学習者主体の参加型の授業が強調される本質的背景はこのような点にあるのです。

pp.297-298.

授業づくりに関しては、「ドラマとしての授業」「目標と評価の一体化」の二つがキーワードとして特に印象的でした。著者の他の著作からも「目標と評価の一体化」についてはその主張の背景がよくわかります。
本書では、どちらかというと「ドラマとしての授業(展開のある授業)」の論点に関して、気づきが多かったです。

単元レベルでの授業づくりも大切ですし、その重要性を著者も強調しているのですが、一方で一時間一時間の授業の中で、ピークとなる没入体験へと促す。この一時間一時間の授業づくりへの示唆が多く得られました。

毎回の授業で「わかる」授業を組織するには、その授業のメインターゲットを一つに絞ることを意識するとよいでしょう。目標となる知識項目の重みづけのできない授業は、「次は‥‥、次は‥‥」と内容を網羅する平坦な授業に陥りがちです。何より「わかる」レベルの学習においては、学習者自身が知識をつないで意味を構成する活動を保障することが重要であり、そうした活動の時間を確保する上でも、目標の絞り込みは不可欠です。

pp.73-75.

導入を受けて本格的に学習活動を行う場面が「展開」の段階です。この展開の段階において、授業の「ヤマ場(ピーク)」を作れるかどうかがポイントになってきます。・・・(中略:斉藤)・・・授業の「ヤマ場」は、外面的に活発に展開することもあれば、内面的に深く静かに展開する場合もあります。ただ、そのあらわれ方に違いはあっても、「集中」が成立している点で両者は共通しています。ここで言う「集中」とは、「気を付け!注目!」など、身体を緊張させる指示によって作り出すもの(外的集中)ではありません。それは、学習活動に自然と引き込まれ、他のことやものが気にならない状態(内的集中:没入体験)のことを言います(横須賀, 1994)。

pp.136-137.

同時に「ドラマとしての授業」を創るためにも、指導技術的な側面も重要になってきます。実際、著者も「“Task”や“Structure”がよくデザインされていても、“Art &Technology”が巧みでなければ、期待したような授業のドラマ的な展開や理解の深まりはもたらされません。」(p.271)と述べています。
発問や説明、板書計画やICT利用など、授業づくりに関わる論点を包括的に論じている印象を持ちました。

日本における板書計画の発展は、一時間の授業をドラマとしてとらえ、一時間一時間の授業を単位にした内容の習得や理解の深まりを重視する、日本の授業文化をよく表しています。

p.318.

これらの全体を踏まえつつ、本書の後半を読み進めていくにしたがって、改めて、本書の序文に書かれた本書のスタンスがとてもよく実感できました。

現場における日本の授業づくりのわざと文化の継承の危機に対し、本書は、目の前の子どもの事実に即応して、個々の技術や手法をアレンジして使いこなしたり、授業を組み立てたりする上での、原理・原則(「授業づくりのツボ(発想)」)をまとめたものです。       

p.ⅱ.

全体として、教師自身が授業内容を研究し、良い授業とは何かを突き詰めなければ、授業改革はできない、というスタンスが採られています。それをこれまでの良い教師は実際にやってきたし、これからもその伝統を受け継がねばならない。そういう熱意が伝わってきます。

以上のような日本の教師たちの実践研究の文化については、単に事例研究を通じて効果的な授業方法を実践的に検証している、授業や子どもの見方を豊かにしているといったレベルを超えて、哲学することをも伴って研究する志向性を持っていた点を認識しておく必要があります(石井, 2018a)。ドラマや映画や小説のように、教師自身が教室での固有名の子どもたちとの出来事ややりとりを、一人称の視点から物語調で記述する実践記録が多数刊行されてきたことを抜きに、日本の教師たちの実践研究の文化は語れません。

p.306.

授業改革をめざすなら、めざす学びのプロセス(協働することや思考が深まること)のイメージを、教師たち自身が自らの学びにおいて追求し自分の身体をくぐらせて理解しておくことが重要です。主体的・協働的な学びをめざしながら、教員研修でペアやグループで話し合う機会があっても活発な議論にならない、正解のない問題に対応する力を育てたいといいながら、「新学習指導要領の弱点や課題は何か」という点を考えたことも無いという状況はないでしょうか。子どもの学びと教師の学びは相似形であて、学びの変革に取り組むとともに、自分たちが子どもたちの学びのモデルとなっているかどうかを問い、子どもたちに経験させたい学びを教師たち自身が経験するような、教師の学びの変革も同時に追求される必要があります。

p.158  .

その他、個人的には、教材研究や教科書研究のあたりの説明が手厚いなあと思いました。
著者が促す「教科する授業」を求めると、生徒自身が複数の教科書を読みこなせないといけないのだとすれば、当然のことなのかもしれませんが。
現在の教科書の課題やその延長線上にある指導要領への批判なども感じられて、うまく整理されているなと感じました。

実際の生活は、きれいごとだけではないある種の闇や秩序のほころびや危険を含み、多義的で価値葛藤を含むものですが、この例が典型的に表しているように、教科書に記載されているのは、世の中の建前や学校文化の枠内で飼い慣らされ切り取られた生活文脈なのです。

p.122.

教科書では紙面の制約ゆえに、例えば、国語科において原作からの削除・圧縮が行われたり、理科や社会科において事象や因果関係の説明が不十分だったり、算数・数学科において問題と問題の間に飛躍があったりします。それらのポイントを見極め、内容を補足したり行間を埋めたりすることが必要です。 

p.123.

教育実践史や戦後教育学から授業づくりに向けて学べる点は多くあり、そういった視点を持って現代の教育を批判的に捉えないといけない。
そういったスタンスが著書全体から感じられました。


同時に、(他にも大量にご自身の本や論文を出版・掲載されている中で)これだけ包括的な論点を整理された本書を書かれたことに、ただただ尊敬あるのみです。

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