感想メモ

【感想メモ】ジェラード・ディランディ著:山之内靖・伊藤茂訳(2007)『コミュニティ:グローバル化の社会理論と変容』

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コミュニティに関わる理論について、包括的に扱った一冊。

翻訳されたのは、2003年に出版された第1版。既に第3版まで出ているようで、訳本は最新版ではないのですが、学べる点は非常に多かったです。

ディランディは『グローバル時代のシティズンシップ』の方で知っていましたが、こちらの本は所々のつまみ読み程度しか、できておりませんでした。

私の理解不足や誤読もあるかもしれませんが、少しだけ感想をまとめておきます。

本書では、「社会理論」という言葉が副題にも使われている通り、コミュニティ概念を多様な領域に基づいて論じています。

「本書の章立てを見れば、そうした時代がよく理解できるであろう。そこには「社会学一般」や「都市社会学」だけではなく、「政治哲学」「文化理論」さらには「ポストモダニズム」、「ヴァーチャル・コミュニティ」といった多様な領域が姿を現している。ここから諒解されるように、社会学はそのほかの学問領域から区別された独立の専門分野だ、とするような1970年代以前の理解では、もはやグローバリゼーションの時代を特徴づける諸問題―領域を超えた社会現象―の研究は不可能になったということなのである。」

p.282.

シティズンシップの議論がなぜ学際的にならざる得ないのかが、よくわかる気がします。

さて、このような視点から、ディランディの主張を簡単にまとめると、グローバル時代だからこそ、コミュニティがより一層求められるようになってきているのであり、ある意味再発明されている。それも従来とは異なる意味を持って復活してきている。こういうことだと思われます。

実際、本書の「はじめに」では、以下のように述べられています。

「古典的な社会学者たちはコミュニティの消滅を確信していたのであるが、事態はそれとは著しくかけ離れている。コミュニティは今日の社会・政治状況の中で復活を遂げつつあり、世界的規模でルーツ探しやアイデンティティの探求、帰属に対する欲求を生み出している。」

p.3

そのようなわけで、多様なコミュニティ論について、本書では紹介されています。

以下、章立てです。

はじめに
1章 理念としてのコミュニティー喪失と回復
2章 コミュニティと社会:モダニティの神話
3章 都市コミュニティ:地域性と帰属
4章 政治的コミュニティ:コミュニタリアニズムとシティズンシップ
5章 コミュニティと差異ー多文化主義の諸相
6章 異議申し立てのコミュニティ:コミュニケーション・コミュニティという発想
7章 ポストモダン・コミュニティ:統一性を超えるコミュニティ
8章 コスモポリタン・コミュニティ:ローカルなものとグローバルなものの間
9章 ヴァーチャル・コミュニティ:コミュニケーションとしての帰属
まとめ 今日のコミュニティを理論化する

ディランディは、「コミュニティ」概念について、大まかに四つの捉え方が出来ると述べています。

①コミュニティと不利益を被っている都市部の地域社会とを結びつける発想。政府の積極的な対応や市民のボランタリアニズムを要求し、コミュニティは相当程度空間化されている。

②コミュニティは帰属に向けた探究と捉えられ、コミュニティの文化的側面に重心が置かれる。

③コミュニティを政治意識と集合行為という観点から捉える。ポストモダン政治とラディカルデモクラシーからヒントを得る。

④コミュニティがコスモポリタン化され、新たな近接性や距離関係の中で構築されるグローバルコミュニケーションやトランスナショナルな運動、インターネットによって登場したコミュニティ

いずれも各章で関連するとは思いますが、①②は2~4章あたり、③は5~7章あたり、④は8~9章あたりで中心的に論じられている気がします。

面白かったところ、気になった文章などを少し書いていきます。

「第1章 理念としてのコミュニティ:喪失と回復」では、コミュニティが社会と対立するという見方が時代をさかのぼれば事実ではないことを論じられていて、印象的でした。古代ギリシャ~近代初期の思想では、コミュニティと社会は置き換え可能だったと。

「コミュニティを社会の出現に先立つ黄金時代だとする19世紀につくられたロマン的でノスタルジックな区分は、近代以前のコミュニティを説明の説明として非常に疑わしいものである」

p.13.

そういう意味で、「コミュニティ」と「社会」を対比した見方は、ひとつの見方でしかない。ディランディはテンニースが『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』で論じた、コミュニティと社会の二項対立的な捉え方を相対化していきます。

ただ、既存の地理的な空間としてのコミュニティを前提としたり、コミュニティという伝統自体が創られたものであることに自覚的でない議論も多かった。

「コミュニタリアニズムのもう一つのよく知られる欠点は、それが行為主体としての能力を持った自給自足で相当程度同質的な集団に基づくコミュニティという観点に固執していることである。・・・(中略)・・・コミュニティ内部の抗争に対する真剣な思考の跡は伺われない。」

p.126.

(あと、第3章のグローバル時代の都市コミュニティ論に関して、アメリカの研究は都市コミュニティを悲観的に論じ、ヨーロッパの研究では都市コミュニティを肯定的に論じているという話も興味深かったです。)

それが5~7章あたりで、多文化主義、異議申し立て、ポストモダンなどが論じられる中で、特定の地理的な空間をコミュニティと捉える見方とは異なる見方が論じられていきます。

5章では多文化主義に関わる様々な立場が紹介されています。ザっと論点をまとめると、こんな感じ。

・多文化主義にとって1980年代が転換点だった。それ以前は寛容さの延長の議論だったのに対し、この頃から具体的な移民のシティズンシップ、参加の議論へと論点が変わっていった。
・一方で、立憲主義、共和主義的な発想を持つ国では、リベラルな政策はなされるが、集団ごとの権利や文化的差異の承認をすることはない(日本も含む)。これらは本来的には、多文化主義ではない。
・立憲主義的なものではなく、より集団ごとの権利を認めようとする見解がカナダや、アメリカのアーミッシュの例などで見られる。これらは、社会的シティズンシップの先に、文化的シティズンシップを認めるもの。
・不利な立場の人々に特権を与えようとするラディカル多文化主義は批判者から見れば人種主義的に映る。
・批判的多文化主義が近年の潮流の一つ。集団ごとの差異だけでなく、個人と集団のアイデンティティを常に再定義しなおし、個人に集団への異議申し立てを行うように促す。結果として、文化の複数化が起こる。
・現在、文化そのものが政治化しており、「集団間での差異を強調すること」と「個人が集団に対して異議申し立てができるようにすること」のバランスが問われている。

6章の「異議申し立てのコミュニティ」では、ハーバマスのコミュニケーション理論が、対話的なコミュニティを構築する方向性を示した上で評価されています。また、新しい社会運動論に関わるコミュニティ観が論じられています。

「新しい社会運動に関する研究は、個人主義が実際にはコミュナルな活動の大きな基礎であること、また多くの集合行為を支えているものこそ強力な個人主義に他ならないことを明らかにしている。」

p.167.

「コミュニケーション・コミュニティは、インサイダーとアウトサイダーの関係によって形作られるだけでなく、参照のコミュニティの拡大と意味の言説の構築によっても形成される。」

p.180.

ポストモダンが生み出したのは、コミュニティの複数化であり、帰属の不安定化だった。

「ポストモダン社会における集団の成員資格は、近代社会よりも流動的で透過性に富むものになりつつある。工業化とともに登場して社会の基礎となった、階級、人種、民族、ジェンダーなど従来自明視されてきたものは、帰属の複数性を特徴とする現代では疑問視されるようになっている。しかし、ポストモダンの時代は、モダニティの前提に疑問を投げかけることによって、帰属という問題をよりいっそう切実なものにするのであり、不安定な時代でもある。」

p.182.

ただ、ポストモダンのコミュニティ観によって、私たちが濃いコミュニティと薄いコミュニティの両方に関わっていること、その間で曖昧な大半なコミュナルの関係が存在することが可視化された。

コスモポリタン・コミュニティの章では、「グローバリゼーションの時代はコミュニティの時代でもある。」(pp.227-228.)と述べられる通り、グローバリゼーションが、ローカルに基盤を置く集団が自らを最発明するプロセスでもあることが説明されています。

印象的だったのが、本書では、トランスナショナル・コミュニティのアイデンティティは非常に同質的だとされ、「新しく魔術化された文化的コミュニティ」と述べられている点でした。トランスナショナル・コミュニティの開放性と閉鎖性をめぐる、両義性が強調されていました。

ヴァーチャル・コミュニティに関しては、まだ未消化。

2021年時点で、本書の話がどれくらい言い得るのかも含めて、今後学ばねば。私の課題です。

「テクノロジーに媒介されたコミュニティーサイバー・コミュニティやヴァーチャル・コミュニティーは、新たな社会集団を生み出している。それらの集団は多形的であって、高度に個人化されており、表現力に富んでいる場合も多いが、それだけではなく、より伝統的な形態をとり、家族や農村部、さらには政治運動までを再構成することができる。グローバルな文脈で現れることが多い。これらのコミュニティで、帰属は根本から問い直されている。」

p.235.

本書全体を通して、著者が規範的であったり保守的なコミュニティへの懸念を示しつつも、コミュニティの複数化が進む現代的な傾向を肯定的に論じているような印象を持ちました。「オルタナティブな社会的絆」というのが様々な場面で求められてきている、と。

「コミュニティは現状に対して肯定的な保守的形態をとる場合が多いが、同時に、ラディカルな力ともなってきた。・・・(中略)・・・ナショナルな経験や創造の枠組みが破綻してきている中で、コミュニティの復元力を維持し、多くのケースにおいて、その他の言説の創造のための基本モデルや、認知的枠組み、象徴的な資源を提供している。」

p.271.

「今日におけるコミュニティの復活は、場所と関係する帰属が危機に陥っていることと結びついている。グローバル化されたコミュニケーションやコスモポリタン的な政治プロジェクト、国家の枠を超えた移動性は、資本主義が伝統的な形態の帰属を掘り崩すのとまさしく同時に、コミュニティに新たな可能性を付与してきた。」

p.271.

一見すると、伝統的なもののようにイメージしがちで、ある意味で現代と離れたもののようにも思えるコミュニティ。

それがなぜ、グローバル化の進む現在において、その可能性や意義が強調されてきているのか。

そのことがよくわかる本になっています。

同時に、帰属やシティズンシップの問題を考える上でも、学びの多い本だと思いました。

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