
歴史授業を「現代とつなぐ」ことをテーマにして、様々な論考がまとめられている。
終章でも「歴史と現代を繋ぐという条件以外については指定することを極力控えた」(p.211.)と書かれているが、思った以上に多様な実践が掲載されており、本書の「現代につなぐ」の条件に対する懸念点を挙げる論考などもあり、その多様さに私は一番の好感を持った。
16個の実践紹介がなされており、いずれも面白いのだが、特に印象に残るのは、授業の導入から生徒を引き込む工夫がはっきりと見れる事例が多数あったことだった。(社会科教育研究に関わる単元計画・実践例が示されるとき、この点は必ずしも自明ではない。)生徒に歴史を学ぶ意味を実感してもらうためのスリリングな挑戦や戦略を、私はここに感じた。
そして、本書が示すのは授業例だけでなく、授業のスタンスであるとも感じた。この本でも述べられている歴史修正主義的な見方は、(私の体感的に、)学生を含む若者や学校の教室にも広がっている。もちろん、露骨に発言する生徒や学生は少なくても、だ。だからこそ、「現代につなぐ歴史」を扱うことで、生徒を含めて、「歴史を現代につなぐ試みそのものが修正主義的な言説が入り込む余地を生むのではないかという懸念」(p.222.)は確かに一定程度ある。というか、その種の違和感が生まれるリスクが生徒側にも生じやすいと感じる。だからこそ、本書が述べる「歴史修正主義的な生徒との対話的姿勢」や「なぜこの歴史解釈や歴史実践を教室に持ち込むのか、どのような評価基準で評価するのかを、生徒と対話しながら説明する姿勢が必要となる。」(p.219.)という点に本書の持つ覚悟を感じた。要は、歴史教師を「思想強めな教師」だと捉えたり、自分好みの見解ばかり提示すると陰で冷笑する生徒がいた場合どうするかという話だと思う。本書で示される授業例は魅力的なものが多いが、それ以上に、そういった授業に対して違和感を持つ生徒や想定外の授業展開に対して向き合っていくスタンスが実践例に含みこまれていると私は見た。
それゆえ、本書が言う通り、「現在主義を受け入れる歴史家は、現在主義が歴史の悪用や乱用につながる可能性があることを考慮し、反省的に慎重に扱うことで、現在主義は学問的な歴史探究を支え、拡張することができると主張する。」(p.23.)のであり、歴史教育者も、できる限りの「反省的に慎重に扱う」姿勢や学問的な歴史探究の姿勢が求められるのだろう。歴史教育の面白みとその責任の大きさを合わせて感じられる本でした。