
面白かった。意見の対立する議論が行われる際に、「二項対立」的に議論を重ねてしまうと、対立がエスカレートして、相手に対する反感や嫌悪感がどんどん増していく「不健全な対立」となることが示されている。そのような対立は、仮にお互いがエビデンスを示しあっても一向に収まらない。本書は、「感情はどんなウイルスよりも感染力が強い」(p.220.)や、「いったん対立の罠に陥ると、そこから抜け出すのは信じられないほど大変だ。」(p.147,)とも述べる。「われわれとあいつら」のような対立が生まれると、敵を戯画化してしまい、関係者は、仲間を攻撃された痛みや、復讐の応酬による高揚感や使命感に魅了されていく。本書の中では、論争、議論における「扇動」「扇動者」の影響力の大きさが際立つ。「世界中で率先して対立の火種をつくっている面々は、私たちのアイデンティティを巧みに利用している。」(p.197.)とも書かれている。
では、どうやって不健全な対立から抜け出すか。「あらゆる種類の紛争の渦中にいるあらゆるタイプの人にとって、不健全な対立から抜け出すための鍵は時間と空間だ」(p.275.)とされる。自分自身が巻き込まれている構造に目を向け、対立の火種や扇動から距離を置き、アイデンティティを「再カテゴリー化」し、(ある条件下ではあるが)他者と接触すること(接触理論)の重要性も示されている。(同時に、現在の制度、権力、組織への持続的な圧力をかけていくことも重要とされる)。対立緩和にとってのワークショップやファシリテーションの重要性も認識できる内容となっている。
さらに、問題を二項対立的に捉えすぎないための方法の一つは、「物語を複雑にする」ことにあるとされる。「人は複雑さによって、世の中をさほど二項対立のない場所として見られるようになる」(p.422.)という話は考えさせられた。それを示すエピソードとしての、ニューヨーク州に住むリベラル派の人々と、ミシガン州の保守派の人々との文化交流の旅も読みごたえがあった。
「私たちに必要なのは、対立を減らすことではなく、健全な対立を増やすことだ。つまり問題は対立の中身である。」(p.353.)と指摘もされていた。相手の考えを「カテゴリー化」することが危険であること、政党の存在意義を再考するヒントもありそうな本だった。