読書メモ

テッサ・モーリス=スズキ(2013)『批判的想像力のために: グローバル化時代の日本(平凡社ライブラリー)』平凡社.

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様々な示唆に富む本だった。本書のタイトルの意味に直結する「批判的想像力の危機」の章では、以下のように述べられている。オルタナティブを想像する力の欠如こそが危機なのだろう。
「ここでいう『民主主義の危機』とは、日本における議会制度が今にも崩壊する、あるいは独裁者が突然登場する、健全な政治討論が権力によって弾圧される、といった意味においてではない。」「ある特定のイデオロギーに対抗する、説得的オルタナティブを想像し、かつ伝達するという能力の欠如によって、その特定のイデオロギーは、ほとんど気づかないうちに、圧倒的で息苦しい怪物として浸透していった。」(pp.45-46,)
「虚無的なナショナリズム」が影響力を強めるなかで、ラディカルな政治思想や政治行動に対する懐疑が生まれ、「多文化主義」「多様性」「和解」などの語彙が政治的右派によって利用され、差別と不平等を隠蔽する快適なイメージを提供するものとして書き換えて使用されているともされる。
「コスメティック・マルチカルチュラリズムは、既成の利害関係をほとんど脅かすことなく、既存の制度の根本的な再考を迫ることがないために、抵抗らしい抵抗に遭わないですんでいる。」(p.186.)
本書の中で、日本が「コスメティック」を超える一つの契機として、地方参政権の議論が活性化されることに可能性を見出している。
国民的アイデンティティの議論が、自分の国だけが固有で独自で、かつ、世界的に見て脅かされている、といった枠組みで語られやすい、という話は印象に残ると共に、ナショナルアイデンティティの比較史の重要性を再認識させられる。
「文化・多様性・デモクラシー」の章で掲載されている「内なる多文化主義」の概念は、自分自身が持つ文化の複数性・複合性を認識し、文化を本質主義的に見ないために重要に思える。グローバル化の中での私たちを取り巻く文化の実態とは、わかりやすいA文化とB文化の衝突というよりも(もちろん、その視点も重要だが)、私たち自身の持つ文化的要素がより複合化していると見る方が現実的なのかもしれない。また、その多様に絡み合う要素の中に、「デモクラシー」も混ざり込み、デモクラシー自体も多義的になっている、ということ、言い換えれば、民主主義も多様な顔を持つものなのだと(少なくとも文化VS民主主義のようなシンプルな対立ではない)、個人的には理解した。また、多文化主義には様々な批判もあれども、「国民的アイデンティティとは、不変に固定されたもので建国の神話と血の結合によって永遠に縛られたものである、とする思想からのきわめて重大な精神的開放を、多文化主義の概念はわれわれにもたらしたのである。」(p.305.)の指摘に、多文化主義登場の以前と以後を隔てる大きな転換点を見た。
あとがきの箇所では、非論理的非人道的措置が、どうして集票の因子になるのかをめぐって、「ポピュラー・ナショナリズム(大衆受けを狙うナショナリズム)」の論点にも話が及んでいる。「ポピュラー・ナショナリズムの戦略は、不可視化の不安や不透明感といった問題の解決を、いわゆる「伝統文化」の再発見に求めようとする部分でも通底する。」(p.325.)とされる。
20年前に書かれたにもかかわらず、今の感覚とずれが少なく、新たな気づきも多い内容でした。

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