『読書と社会科学』を読了。学生時代にも読んだ本だが、「社会科学」とは何かと思い、久しぶりに手に取った。読書論として、情報を集めるための読書やつまみ食い的な読み方には懸念を示す場面が何度もあり、私自身も耳が痛い読書経験となった。
本の主張を忠実に内在的に理解する(全面的没入をした)からこそ、その先の「読み」としてのオリジナリティが生まれる、ということだろうかと捉える。本を深く読む中で、疑問を感じた自分を信頼し、そこに何らかの深い意図があるはずだと著者を信頼し、その上で「読み」を深めていく。そういう読み方が求められているように思える。こういう文脈で考えれば、文章の「読みにくさ」にも意味があり、端的・明快で読みやすい文章であればよいというわけでもなさそうだ。
後半の「創造現場での社会科学」の章は、「概念装置」の話を含め、社会科学をなぜ学ぶ必要があるのかという説明がとてもクリアに説明されている。と同時に、著者のいう「概念装置」はおそらく、専門用語や使い勝手の良い視点を単に情報として一部借用・記憶すればよいという話ではなく、本全体を深く読んで、その本の著者の認識自体を読み取るレベルの深い読みを要求しているように思えた。
内田義彦氏の著書を、久しぶりに何冊か読んでみたい。