読書メモ

樋口大夢(2025)『ハンナ・アレントの教育理論:「保守」と「革命」をめぐって』勁草書房.

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『ハンナ・アレントの教育理論』を読了。政治理論家として評価されてきたハンナアレントの教育理論家としての一面を浮かび上がらせている本。現代日本の主権者教育やシティズンシップ教育への(批判的な)問題意識も様々に垣間見えて、思考が喚起される内容になっている。

最大の論点は、アレントの論考「リトルロックの省察」をどう評価するかという点にあるように読んだ。アレントは、公民権運動期の人種統合の学校運営に関して、大人が解決していない世界の変革を、子どもに要求することになっていないかと問うたわけだが、このことをもって、アレントが子供を政治的な争いに巻き込むことを忌避しているのか、大人による子どもの政治利用とはそもそも何を指すのか、などの論点が関わってくる。

読んでいる際に、アレントの「保守的」のニュアンスには独特なものを感じた。アレントは、アメリカ革命をそこに複数性があることを高く評価していた。その上で子どもが「新しく革命的なもの」(p.76.)や、「自発性」や「世界を刷新することができる力」を生来持っており、それを奪わないことが「保守的な教育」だと本書が述べていると私は捉えた。政治的信条やイデオロギーで用いられている用法とは異なる(p.107.)ともある。保守の意味は、アレントの思い描く進歩主義教育像とも密接な関連がありそうに思えた。

そのほか読んでいて、とりわけ心惹かれたのは、「準備」と「責任」のニュアンスについてだった。子どもは「世界を刷新することができる力」を持っており、大人はそれを奪うのではなく、発揮できるような準備を前もってさせることが求められる(p.77.)。「行為」は複数の人々の間でなされる予測不能で、非主権性のあるものであり、子どもたちの自発性と、行為の非主権性を重視した場合に、「行為を起こす手前のところまでの「準備」の役割」(p.143.)とは何をどこまですることを意味するのか。併せて、関連して出てくる教師にとっての「世界への責任を引き受ける」(p.165.)ということや、子どもが起こしてしまう「行為」に対する応答責任を果たさなくてはならない(p.166.)ともあり、そこでいう「責任」の意味について理解を深めていきたいと感じた。「子どもの政治」(p.183.)という視点が鍵になりそうな予感はする。

「非主権性」の概念が、シティズンシップ教育や主権者教育の問い直しにつながるとも指摘がされている。主権者とは、市民とは、教育とは何を意味するのかを改めて考え直すきっかけとして本書を読み、自分の思考の前提を浮かび上がらせたいと感じた。

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