『親鸞と日本主義』を読了。大正から昭和初期にかけて、親鸞思想と全体主義的な日本主義が結びつきやすかった構造的要因を探るために、当時において両者を結び付けた「宗教者・思想家・文学者たちの失敗」に焦点を当てている。
登場する人々の大半は超エリートなのだけれど、この時代の若者・青年たちの抱える「煩悶」や「疎外感」、そこと絡み合う、マルクス主義、超国家主義、国体論の話などは、この時代だけに話にとどまる問題ではないなと考えさせられる。
著者は、「親鸞は常に過信を諫めてくれる」と述べる。ただ同時に、「法然・親鸞の思想構造が国体論の思想構造を規定している」(p.282.)こともあり、親鸞の扱いを誤ると、非常に危険な言論へと転化してしまうと指摘していた(p.289.)。
ドイツのホロコーストで残虐行為に関わった人々が、「普通の人々」でもあったという話はよく耳にする。日本に関しても、戦争に加担していく人々の思想やプロセスを安易に自分と異質だと見なしたり、実態から目を背けてはいけないと感じた。
第5章の興法学園メンバーの一人が、当時のクリスチャンやインテリ仏教徒の反戦論に「人間に対する理解」の浅さを感じ、「甘ったるい人本主義の公式の展開」と評する描写がある(p.257.)。
本書からどんな教訓を得るべきか、とても悩ましい。