『ワークショップ:住民主体のまちづくりへの方法論』を読む。先日読んだ論争問題は感情や共感が関わる問題だという話と通じるものを感じたし、ワークショップが方法論として普及することに懸念を示す内容だった。まちづくりの事例も詳細で、ワークショップの理論史も詳しい。
第五章「まちづくりにおけるワークショップの事例」では様々な事例が紹介されているのだが、読んでいて内心ヒヤヒヤしてしまうというか、途中にバチバチした瞬間もあったのだろうなあ(港区の事例など特に)と感情移入してしまうような、まちづくりのワークショップのリアリティを醸す事例もあった。
ワークショップの心理学的背景としてのクルト・レヴィンやヤコブ・モレノの思想・理論、そして1960年代アメリカにおけるマイづくりの市民運動とワークショップの系譜なども詳しく、KJ法で有名な川喜田二郎の思想なども含め、様々に勉強になった。
また、1980年代山形でのワークショップの導入事例では、ワークショップの語を使わず「講」の語を活用したことや、生活改善運動などのベースが地域にあったことも考慮した点も記述されており、著者が言う「ワークショップは、特段新しいものでもなく、人類のちとして蓄積されてきた集団の力を発揮する方法」という話を再度確認できた気もした。
行政と市民がぶつかってしまう際に、縦割りの行政と、総合そのものの住民生活の論理がかみ合わないという話を読み、「行政とは何か」と改めて考えるきっかけになった。また、ワークショップのプロセスにおける「シェア(個人→グループ→全体への共有化)」の意義を改めて見つめ直すきっかけになった。