『日本統治時代・朝鮮の「国語」教科書が教えてくれること』を読んだ。国語教育で著名な芦田恵之助が植民地期朝鮮で教科書編纂に関わったことに焦点を当て、日本統治下の朝鮮における朝鮮読本を取り巻く時代状況や教科書内容を考察した本。コンパクトながら勉強になった。
芦田がかかわった朝鮮読本は、それ以前のものと比べ、一見すると内容的にも方法的にも進歩的なものになったという。啓蒙主義的で露骨な同化主義的なものから、子どもの好奇心や探求心を信じ、主体的に学習する活動を保障する教科書へと変化していった(p.28-29.)。ただ、内省を重視する芦田の教育観は、結果として、全ての原因を自己のうちに求め、日本の朝鮮統治を「仕方のないこと」と受け入れるように促す内容へと繋がったと指摘している。著者は、宗主国/支配側にいる日本の子どもに内省を説くことと、植民地/被支配にいる朝鮮の子どもに内省を説くことの社会的文脈の違いを述べていた。(p.44.)
もう一点印象に残ったのは、当時の朝鮮普通学校の日本語の教育が、現地の「誠実で子ども思いの、まじめな人たち」に支えられていたとされる点。先述の改良された朝鮮読本を誠実に教えようとした教師たちのことを念頭に置き、本書では「社会の大きな動きを疑うことなく、ただ目の前の時代に誠実に対応しているだけで大丈夫か?」という問いを歴史から学べると述べる。その上で本書終盤では、国語教育でも、学習者の権利のための、理不尽な状況に抗議することができるような教育の必要性が指摘されていた。
現地の教師にも大きな葛藤はあったと推察する。少しずつ植民地教育史について学びたい。