『教室における政治的中立性』を再読了。論争問題学習のあり方や論点を、アメリカの学校調査データを豊富に交えて論じている。私の周りでも、「大人でも難しい論点を子どもが話し合うのは難しいのでは?」という声をたまに聞く。でも本書を読むと、大人が出来ていないことを、学校や生徒だからこそ出来うる可能性があるのだと感じられた。
本書が論じるように、大半の大人は、自分とイデオロギーの異なる大人と政治の議論をすることがなく、その環境がイデオロギー傾向を極端にするというデータもある。ただ、学校空間であれば、教師のやり方の工夫によっては、イデオロギーの多様性を資源とした政治的議論が可能であり、それにより政治的寛容さ、不一致への同意の態度を養うことができる。
豊富な授業例を見ていると、やはり、論争問題の議論をする際の方法や、生徒にスキル習得を促すための、教師側の工夫や戦略、下準備、その場での対応力が重要だということはよく分かった。単に意見の割れそうなテーマを話し合えばいいということではなく、戦略的な教授方略、スキル習得、評価の方法などがセットで必要なのだと再認識した。
一見同質的な教室の中でも、一人の生徒の中にある意見の多様性を資源として掘り出し、教室内の多様な意見を可視化し、必要に応じて教師が他の意見を教室外から持ち込むなど工夫は様々だった。その意味で、「指導技術」の論点も今まで以上に重要な要素になり得るとも感じた。
政治的中立性の話に関しては、生徒は思っているよりも教師の意見に影響を受けないという指摘や、「性質転換しつつある」論点を扱うべきという指摘は、改めて重要だと感じた。