『絶望からの新聞論』を読了。現代の「新聞」というメディアの発信・役割の難しさや、権力に対抗する攻めた報道をすることの難しさについて、様々な視点から論じられている。一番印象に残るのは、著者が朝日新聞社を退社するまでの、同新聞社が変化していく過程についてだ。
朝日新聞の慰安婦問題報道への猛烈なバッシングなどを背景として、攻めた企画が立てられない、現場記者の意欲を削ぐ組織風土、システムが社内に作られていく過程(例:役員の編集会議への干渉の増加など)が痛々しく描かれている。その他、メディアが「報じなかったこと」へも鋭く批判をしている。
旧統一教会問題の報道や、伊藤詩織さんの事例など、報道に新聞社内で規制が入る例など。新聞社メディアが政党間のパワーゲームばかりを追い、議論の過程を報じていない点も指摘されている。関連して、自民か非自民かの二項対立だと、有権者は「人」を選べなくなる(p.128.)との指摘も印象に残った。
後半では、著者の沖縄での新たな記者生活の話が出てくる。地域に根を張り、当事者の声を聴くことの重要性を改めて感じる。最後の1945年に朝日新聞を退職したジャーナリストの言葉が心に残った。大多数の人々はあからさまに権力に媚びるわけでもなく、徐々に惰性に流されていく。それが問題なのだと。