読書メモ

ロビン・D・G・ケリー著:村田勝幸訳『「人種か、階級か」を超えて:大恐慌期アラバマにおけるコミュニストの闘い』彩流社.

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『「人種か階級か」を超えて』を読了。理解度はイマイチで反省しきり。「人種や階級、ジェンダー、セクシュアリティなどを競合するカテゴリーではなく、連動するカテゴリーとして捉えるという見方や姿勢」というインターセクショナリティの視点を理解するのに良い本と思った。

具体的には、黒人社会の中にも対立はあるし、条件が整えば黒人と白人が連帯をする時もあり、人種の分断は予想よりもはるかに流動的で複雑。黒人エリートと、(一部)の黒人労働者階級の間には大きな溝もあり、コミュニズムと黒人が繋がっていく過程で人種主義・反共主義を取り巻く構図はより複雑化する。

1934年頃に、メーデー、ストライキ、共産主義勢力が活発化したり、座り込みストライキ、白人と黒人が一緒の姿も見られる。その後、黒人コミュニストが、より一般的な組合に協力・共闘しようと選択する中で内側から解体が進んでいく過程が示されているように思えた。白人リベラル派の黒人コミュニストへの反発はあり、アメリカで「コミュニスト」のレッテルを貼られる恐怖感が垣間見える。1939年代のレッドスケアでリベラルや労働者が退却をしてしまい、「南部民主戦線」という共産党の希望が壊れていく過程(p.315.)や、リベラル派と連携する中でコミュニスト自身もその名を伏せていく過程が印象に残る。

また、共産党の勉強会が黒人に与えた大きな影響(p.177.)は興味深かった。「最初から、コミュニストのオーガナイザーは普通の労働者をマルクス主義者に代えるための教育機構をつくっていた。」ともあるが、そこからニューヨークやモスクワなどで学ぶ機会を得る黒人もいるし、我が子をコミュニストに育てる黒人の親や、黒人が自分達の問題を国際社会の闘争の文脈で理解していく過程も印象に残った。南部黒人文化が、「豊かな対抗文化」を持ち共産主義と親和性があったこと。人種差別を背景に警察がKKKと協力したり、暴力に加担している場面も多い。アメリカにおける共産主義の位置づけを一から学びたい。

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